Private Life

2015年05月24日

スマホの功罪

私はスマートフォン(スマホ)を持っていません。その代りガラパゴス携帯とiPad Air 2を常時持ち歩き、院長室にはちょっと大容量のデスクトップ型パソコンを設置し、用途に応じてこれらを使い分け、別に何の不自由も感ぜず快適なSNSライフを満喫しています。今の世の中ともすればガラパゴス携帯は新しい物に適応できない年寄りの持ち物であるかのような偏見を持つ向きもあるようですが、これは勘違いも甚だしいと考えております。

こんな中、ここ数年来スマホの爆発的な性能の向上、普及と共にその様々な弊害が叫ばれるようになって来ました。
整形外科医の立場から言わせてもらうと、あんな小さな画面を長時間にわたって凝視し、指先で画面をタッチする操作は頸椎の変形をもたらし、肩こりや手のシビレ、視力低下などを引き起こす作業であり、まったくのナンセンスであると考えています。どうしても必要に迫られてスマホと付き合わなければならない場合、最低でも15分に一回位はスマホから目を離し頸椎のposition change 、stretchをすべきであると考えています。

私にとって特に奇異に映るのは、仲間が集まって食事会や飲み会をしている間中、一部の人間、時にはほぼ全員が、テーブルの下あるいは公然とテーブルの上で、背中を丸めチマチマとスマホを操作している姿であり、これはとても滑稽で哀れを誘う光景でもあります。これではせっかく時間を調整して集まった仲間との貴重なコミュニケイションの時間を台無しにするだけでなく、リアルな場での活発な意見交換のチャンスを自ら放棄することにもなりかねません。

たしかにスマホがとても有用なツールであることは認めますが、所詮は人間の便利の為に作られた物であり、これに振り回され貴重な時間を浪費しスマホ依存症のようになって行くのはちょっと悲し過ぎます。

こんな中、信州大学長の山沢清人氏が今年4月の入学式で行った「スマホやめますか、それとも大学やめますか」のスピーチはとても素晴らしく、私が常日頃感じていたことを、明快な言葉で語ってもらえたような気がします。
スマホに振り回され無為に時間を過ごすことなく、本を読み、友人や先輩と話をし、自分の持つ知識を総動員して物事を根本から考える習慣を身に付け、斜に構えず全力で行動しようという主張には大いなる共感を覚えました。

2015年04月30日

格差社会

フリードマンらの提唱した「市場原理主義」の浸透と共に、我が国でも貧富の差が拡大し、昨年逝去された宇沢弘文先生の心配されていた格差社会がいよいよ日本でも現実のものとなって来ました。世界でも稀な、平和で豊か、そして極めて社会主義的な平等を実現し、一億総中流と言われた日本でしたが、最近これもついに崩れ始めたなと感じております。

極端な格差社会は米国で既に進行中であり、企業トップ達の得る法外な報酬は我々の想像をはるかに超え、企業によってはCEO(最高経営責任者)と一般従業員で500倍前後の格差が存在するところもあります。これに加えて問題なのは米国では中流階級が崩壊しつつあり、ケガや病気、失業や倒産などを契機に自己破産して貧困層、そしてホームレスへと転落するというシビアな現実があります。

こんな中、今年1月下旬に来日したフランスの経済学者トマ・ピケティ氏は、その著書「21世紀の資本」を通じ、世界的に拡大しつつある格差社会の問題点を鋭く指摘し、警鐘を鳴らしています。たしかに彼の膨大なデータに基づく科学的な検証は傾聴に値し説得力もありますが、その主張を全面的に受け入れ実行するには少し違和感を覚えます。とりわけ富裕層へのこれまで以上の課税強化と相続税率のアップは、頑張った人とそうではなかった人にあまり差が出ないような社会構造になる危険性を有しており、猛烈に努力して成功し豊かな暮らしがしたいという若者が減り、社会の活力が削がれることにならないか心配です。

ここで少し興味深いのは、日本の大企業の役員達の報酬レベルが欧米、特に米国に比べ極端に低いということです。社会の上位1%の人達が富の大半を握ってしまう米国において格差社会が進行するのはとても理解し易いのですが、社長達の報酬があまり高くない日本においても格差が開きつつある原因はどこにあるのか、様々な分析が為されているようです。私は政府の政策誘導により非正規労働者が急増している事、大企業が内部留保を莫大に抱え込み(資本金10億円以上の大企業の内部留保はついに285兆円を超えました)、一般社員の待遇改善や下請け企業からの納入価を引き上げるなどの、利益の正当な分配が成されていないことが大きな原因となっているような気がします。

こうした状況の中、以前訪問したインドネシアのバリ島とフィリピンのセブ島の島民たちの暮らしぶりが突然思い出されました。同じように貧しい環境の中で生活している人達ですが、市中に笑顔あふれるバリと、スラム街や暗い表情の人が目立つセブ。この違いはどこから来るのか、とても興味をそそられます。そして、バリでも大変な格差社会が厳然と存在するにも拘わらずピケティが指摘するような問題はあまり目立たず、人々がそれぞれの身分、職域の中で精神的にとても豊かな暮らしを営んでいる様には頭が下がり、多くの事を教えられた気がします。

2015年01月20日

オバマケアの光と影

理想の医療制度としてWHOが称賛する日本の国民皆保険制度。

この国民皆保険を5000万人の無保険者のいるアメリカに導入しようとして果たせなかったヒラリー・クリントンの夢を、オバマ大統領が遂に実現した。

この程度の知識で止まっていた私にとって、昨年末に読んだ「沈みゆく大国 アメリカ」という本はかなり衝撃的でした。アメリカを愛して止まぬジャーナリスト、堤未果。彼女だからこそ書けた内容であり、単なる批判書ではなく、アメリカ人に警鐘を鳴らし、改革を促す内容となっています。大分以前からアメリカの医療制度の問題点を指摘する書物は散発的に読んではいましたが、今回は極めてクリアに、その全貌が明らかにされ自分の頭が整理された気がします。

一般的に頭の切れる人の文章は、スラスラと読み易くストレスを感じることなく、あっという間に完読してしまう傾向がありますが、この方の文章も極めて読み易く、続編が待ち遠しい所です。 


以下に内容の一部を抜粋して紹介します。

① 自己破産理由のトップは医療費(医療費が余りにも高額な為、突然のけがや病気で簡単に自己破産に追い込まれる。)
② がん治療薬は自己負担だが、安楽死薬は保険適応。
③ HIV陽性の段階では保険適応外だがエイズを発病したら保険適応。
④ 人生の終わり方を自分で選ぶという崇高な理念のもとに導入された「尊厳死法」は、いつの間にか膨れ上がる医療費に歯止めをかける最大の免罪符となっている。
⑤ 世界最先端の医療技術を誇りながら、毎年4万5000人が適切な治療を受けられず亡くなっている。 
⑥ 政府が薬価交渉権を持たない為、クスリは製薬会社の言い値で売られ、恐ろしく値段が高い。例えば最近発売されたC型肝炎治療薬は1錠10万円。1日1錠1クール12週分のクスリ代だけで840万円。
⑦ アメリカのすべての専門職の中で自殺率1位は医師。その理由は、アメリカの医療は完全に保険会社に支配されており、治療もクスリの処方もすべて保険会社の許可を取らなければならず、医師達はその交渉と書類昨成に膨大な時間を食われ過剰労働となり、何よりもプロの医師としての治療上の裁量権をすべて奪われ、プライドを粉々に潰された為と言われている。

保険会社、製薬会社、銀行、証券会社によってアメリカの医療が蝕まれていく様子が克明に描かれており、とても衝撃的でした。彼らが次のターゲットとして狙っているのが日本であり、TPP批准そして混合診療解禁を突破口としてアメリカの保険会社が日本市場を支配する日もそう遠くはないような嫌な予感がします。

財務省の圧力を受け、医療費を削減することばかりに執心する厚労省の役人たちには、もう少し高い見地から、世界に冠たる我が国の国民皆保険制度を何としてでも守り抜く強い決意を示して欲しいものです。    

2014年10月26日

情報伝達の優先順位

先日、外来診察中の患者さんから「こんな危険なクスリは飲みたくないので、何か他のもっと安全なクスリに切り換えてください。」と言われ、新聞記事の切り抜きを見せられました。指摘を受けたのは「リリカ」というクスリで、神経障害性疼痛や線維筋痛症に対する画期的な治療薬として2010年6月から発売され、現在服用中の患者さんは国内だけで195万人と推計されているものです。記事を拝見すると、この薬を服用中の患者さんの1人に重篤な副作用が発生したという内容で、とんでもない危険なクスリであるという誤解を与えかねない、一方的で薄っぺらな内容でした。何より最悪なのは、我々医療機関へ、この情報を伝達する前に、一般市民に向けてかなりヒステリック報道がなされたという点です。かつて2010年2月にも、痛風治療薬「ユリノーム」をめぐって似たような事例があり、またかと、ちょっとやり切れない気分になりました。

何かクスリに関する副作用が発生した際、担当医はその製薬メーカーまたは厚労省に情報提供し、そこで詳細な検討が加えられた後、その重篤度の度合いに応じて全国の医療機関に対し副作用に関する情報提供が行われ、患者さんの診療に反映するものと認識しております。ところがこれら二つのケースではいずれも、その副作用情報が医療機関に伝達される前に、マスメディアを通じて一般市民に伝えられてしまった為、患者さんの間にかなりの誤解と混乱が生じました。

ユリノームに関するニュースの流れた当日は電話で、「お前は何でこんな危険なクスリを俺に飲ませていたんだ!」と怒鳴られたり、服用を自分の判断で勝手に中断したり、あるいはこのマスコミ報道以来、他の医療機関に転院したりと、それまで大切に築き上げて来た医師と患者さんとの信頼関係に傷がつくというケースもありました。

これは厚労省からの垂れ流し情報を、自分達でしっかりと検証もせず大げさに取り上げるという、三流と言われ続ける我が国のマスコミの本領発揮などと言って笑って済ませられるものではなく、最大の問題は厚労省の役人が医療機関に副作用情報の伝達をする前に、マスコミに対し中途半端な形で情報をリークしたという事であり、この責任はかなり重いと感じました。

すべてのクスリには効果だけでなく副作用が発生するリスクがあります。我々は副作用の発生を極力抑え、その効果を最大限引き出すような服薬指導を行なっておりますが、その実現の為にはクスリを服用される患者さんに対し常にその副作用も含めた正確で最新の情報提供を行ない、患者さんとの信頼関係を構築する中でその理解と協力を得る事が極めて重要であると考えています。

今回マスコミがやり玉に挙げたリリカに関しても、その副作用の発現頻度は他の薬剤と比べて特に高いものではなく、現在でも多くの患者さんが服用され効果を実感されているクスリです。こんな中、同じような事例が続いたことはとても残念であり、厚労省の体質に何の反省も改善もないことを確認したような気がしてちょっと暗い気持ちになりました。

2014年09月21日

南イタリア

8月16日から1週間ほど、夏休みを利用して家族で南イタリアに行って来ました。昨年と違い今年は二人の息子達が同行する事になり、いろいろな意味で期待を膨らませての旅行となりました。

成田からローマまで12時間半ほどのフライト、そして飛行機を乗り換え30分程でナポリに到着です。ナポリ2泊、アマルフィ2泊、ローマ2泊という日程で慌ただしく南イタリアを回って来ましたが、中でもアマルフィの絶景はあらかじめ映画やTVで見てはいたものの、本物の迫力にはやはり圧倒されるものがありました。


日本にも同じような地形はありますが、一見すると住みにくそうな、海にそそり立つ複雑な海岸線を、これ程までにお洒落にアレンジし、そこで逞しく毎日の生活をエンジョイするイタリア人のセンスの良さ、エネルギッシュな生命力を肌で感じて来ました。


映画「アマルフィ」で使われたサンタ・カテリーナホテルは元々修道院だった所で、絶壁に突き出したロケイション。ホテル内のエレベーターでストンと10階分ほど下ると、そこにはまるでコートダジュールに来たようなお洒落な空間が広がります。息子達が海で泳ぐのを眺めながら快適なデッキチェアに身を横たえると、さり気なく飲み物が運ばれて来ました。アマルフィの絶景と地中海の海の青さを眺めながらここで過ごした時間は特に記憶に焼き付いています。

イタリアの財政状況は相変わらず厳しく、修道女の希望者は多いが、基本的に寄付で成り立っている修道院の運営資金が集まらず閉鎖される施設が後を絶たないと聞きましたが、こんなお洒落なホテルに生まれ変わり、雇用にも貢献するのであれば、これも時代の流れかと思いました。

さてアマルフィの背後、その山手地区にRAVELLOという街がありますが、落ち着いた雰囲気の素敵な街です。ここで毎年6月から10月まで、海に突き出した特設ステージを設営し、毎週2~3回開催されるコンサートを中心としたRAVELLO FESTIVALというイべントがあります。クリントン大統領夫妻も来たことがあるとガイドが話していましたが、ステージの背景にアマルフィの絶景を見下ろすロケイションが最高の演出となっており、次回はこのコンサートを目玉に再訪したいと思いました。  
         
元々イタリア料理は大好きで都内にはお気に入りのレストランが沢山ありますが、今回の旅行でもガイドブックに頼らず、東京で行きつけの店のシェフや友人達からの情報を元に徹底的にリサーチし、楽しんで来ました。総評として味の繊細さや、料理を出す際の演出などは東京のお店の方がレベルは上かなと感じましたが、アマルフィの絶壁に突き出していたり、港のヨットハーバーに面していたり、ホテルのルーフトップでローマの圧倒的な夜景を眺めながらなどなど、店のロケイションはどこも素晴らしく、人懐こいイタリア人スタッフの接客も含め大いに楽しむことが出来ました。また現地のガイドやホテルのコンシェルジュの提供するUpdateな情報もかなり役立ちました。やはり英語は世界中どこへ行っても役に立つ便利なツールで、情報収集と交渉事を有利に進める上でとても役立ちました。今回は特に英国留学中の息子が一緒だったので私の負担は大分少なくて済み、楽をさせてもらいました。

日本代表監督を退任しイタリアに戻るザッケローニ監督が、離日に際し日本のサッカーファンに送ったメッセージの中で、来日前は日本でやっていけるのかと不安を感じていたが、日本における世界一快適な生活に慣れてしまった今、故郷での生活に不安を感じているというコメントをしていましたが、正に今の日本の、特に東京港区での状況を言い当てていると感じました。

世界一安全で清潔。世界中の料理が、最高の接客と最高レベルのテイストで食べられる。まだまだ根強い外人コンプレックスのおかげで、外国人(困った傾向だが、特に英語人)に対して極めて控えめで親切な国民性。もしも時間的、経済的に恵まれた状況で港区に住むとしたら、おそらく世界一居心地の良い日常が送れるのでは感じています。本当に東京は地方都市の衰退とは裏腹に、どこへ行っても人があふれており、あらゆるENTERTAINMENTがここに集中している感があります。

しかしながら政府の地震調査委員会の発表によると、今後30年以内に70%、5年以内に30%弱の確率でマグニチュード7.0以上の首都直下型地震が起こると予測しております。多くの地震学者達の指摘にも拘わらず首都機能移転の議論が頓挫したままなのは理解に苦しみます。歴史をひも解くと、栄華を極め没落して行った多くの都市の名前が浮かびますが、東京がこのリストに並ばぬことを祈らずにはいられません。
 
とりあえず私は、この街に不動産を取得する事は避け、ベースキャンプは賃貸として、短いスパンで、港区の中でも特に快適なエリアに立つ新築のマンションを住み歩くのがベストチョイスではないかと考えています。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)との関連で考えてみると少し分かり易い。

このとてつもなく厄介な24項目の協定はその交渉過程がすべて非公開、しかもTPP発効後も4年間は公開されないという、かなり怪しげな協定であり、加盟を検討している国々の良識ある市民団体はこぞってこの協定に疑問を呈し、反対しているという代物です。

TPPとは単なる自由貿易協定ではなく、24項目の中には医療や保険に関するものも含まれており,このTPP交渉の中でアメリカが日本に対し強引に混合診療解禁を迫る背景に見え隠れするのは、アメリカの大手保険業界の動向です。

混合診療解禁となると厚労省はここぞとばかりに、これまで保険診療でカバーしていた治療まで次々に自由診療へと切り替え、社会保障費の削減に突き進む可能性があります。これに備えて国民は仕方なく民間の医療保険に加入するわけですが、ここにビジネスチャンスを見出そうと、国内外の保険会社が参入の機会を虎視眈々と狙っているという図式です。

ところで私は基本的に混合診療を全面解禁する必要はないと考えています。この件に関しては日本医師会もTPP交渉に関する公式見解として、「混合診療の全面解禁反対」の立場をとっており、珍しく意見が一致しております。

「保険の適用外の分だけ自費で負担し、適用分は従来の保険で賄う。」こんな簡単な、現行制度の不備な部分(同一日に自由診療、保険診療を受けるとすべての治療費が自費請求される。)の微修正で十分対応できるものであり、我が国が世界に誇る国民皆保険制度を守るためにも、TPP交渉担当者には、日本の国益を第一に考えた粘り強い、したたかな交渉を期待したいものです。 

ともすれば混合診療全面解禁の長所ばかりが強調され、これに反対する日本医師会は、公的保険にしがみつき、競争の原理の導入を拒否し、先進的な医療への取り組みに消極的な利権団体であると批判されておりますが、この混合診療に限っては多少の誤解があるようです。

様々な社内タブーを作り自主検閲し、「記者クラブ」で得られる垂れ流し情報を思考停止したまま何の検証も加えず報道する、海外から三流との烙印を押される日本のマスコミのレベルの低さにはいつも辟易しておりますが、今回の混合診療解禁というテーマに関してもフェアな報道は成されていないという印象を受けました。

やはり真実の核心に迫るには、信頼できる人物をある程度絞り込み、その人達からの直接の情報収集や、彼らの出版する書物やネット上での情報提供を注意深く読み込むことかなと考えています。

2014年(平成26年)4月1日、消費税が5%から8%に引き上げられました。欧米先進国では当然の事として行われている、食料品をはじめとした生活必需品に対する軽減税率は実施されず、一家の大黒柱の給料は上がらず、家計のやりくりは以前にも増して困難になって来ました。

今回は、2011.5.15に私がまとめた「院内処方・院外処方とは」との関連で、皆さんにささやかな提言をしたいと思います。

現在足利市には医療機関が100軒超ありますが、この内80軒前後が院外処方を採用しています。また、市内には常勤の整形外科医がいる施設が8ヶ所ありますが、この内当院以外の7軒が院外処方です。こんな中私が頑固に院内処方を続ける理由は2つあります。

1つ目の理由は、移動が大変な患者さんに対する配慮です。診察が終了した後、外の薬局まで出かけて行くのは大変な事だと思います。特に天候の悪い日などは最悪です。2つ目は、患者さんの支払う治療費の額が3割も違う為です。全く同じ治療を受け、全く同じクスリをもらっても、院外処方を採用している医療機関を受診した患者さんの方が常に3割前後、支払い額は多くなります。

この理由は厚労省が院外処方を採用する医療機関を増やす目的で利益誘導を行ない、また調剤薬局での処方に関する技術料を異常に高く設定した(あるいは院内薬局の技術料を異常に安く設定した?)為です。簡単に言うと、院外処方は経営的上のメリットを考えると医療機関の味方、院内処方は患者さんの味方です。「クスリを院内でもらえるし、窓口での負担は3割も安いのです。」

さて、皆さん御存知ないと思いますが医療非課税という法律の下、現在医療機関は薬問屋から、例えば公定価格100円のクスリを108円の消費税込みで仕入れ、患者さんには消費税抜きの100円でお渡ししています。来年以降消費税が10%になると院内処方を採用している医療機関は、クスリを処方する毎に10%の損失になるわけです。

薬価差益の全国平均が5~6%という厳しい状況となり、経営的には全くナンセンスな院内処方を維持する事の困難さを今年4月以降身にしみて感じていますが、こんな中、院長としては何とかやせ我慢をして「すべては患者さんの為に!」という事で、もう少しの間いい恰好させてもらおうかなと考えています。

消費増税で家計のやりくりが大変な中、「わたなべ整形外科」に行けば、同じ治療を受けても3割前後窓口負担が少なくて済むという情報提供でした。

2014年04月29日

祝祭日診療の事

究極の医療サービスとは、365日年中無休、24時間対応の診療体制だと、私は考えています。

病気やケガは、曜日や時間に関係なく突然襲ってきます。こんな時いつでも対応してくれる医療機関があったらいいなと思います。しかし医療水準が低くてはちょっと困ります。無愛想な対応をされるのも嫌なものです。アメリカにはこの条件を満たす病院が数多く存在します。でもちょっと問題があります。それはこのサービスを受けるには、患者さんのコストが日本の10倍以上かかるということです。アメリカの医療費が高いのは余りにも有名ですが、それだけ高額の医療費が医療機関に注ぎ込まれるおかげで、病院スタッフの人数は日本の10倍以上、給料は2倍以上が実現し、最新鋭の設備と余裕を持った勤務体制が実現出来ています。
 
さて、365日年中無休体制での医療の展開は私の夢ですが、その実現にはかなり高いハードルを越えなければなりません。わたなべ整形外科では平成22年(2010年)9月から、年間を通じて祝祭日も、午前中のみではありますが通常通りの診療(診察・リハビリ・バス送迎サービス)が受けられるようになりました。常に患者さん目線で医療の現場を見つめ、「こんな病院あったらいいな」をテーマとして平成元年の開院以来、時代の流れに身を任せ、しなやかに組織の形を進化させながらこれまで歩んで来たつもりです。

「経営を最優先にしない医療」、「患者さんが主役の医療」を目指して行くと現在のような形に落ち着くのかなと今は思っています。

しかしながら、院長として自信を持って患者サイドに立って実行していると確信していても、それに対する患者さんの反応は様々です。先日も、ある患者さんから祝祭日診療に対して「これ以上儲けてどうするの?」と言われた時にはちょっと絶句しました。

今回のゴールデンウィーク中も祝祭日はすべて、午前中の通常診療が受けられますが、これを実現するためにはスタッフ全員が、当院の目指す医療への姿勢を理解し、祝祭日出勤への協力があってはじめて実現するものであり、ねぎらいや感謝の言葉ならぬ、きつい一撃に、様々な考えを持った患者さんが来院している事を今更ながらに痛感させられ、我々はもっともっと謙虚にならねばいかん、独りよがりにならず、そして高度な医療サービスを今まで以上にサラリと提供しようと心に誓いました。

2014年04月05日

伝統の重み

昨年3月から、末の息子が英国に留学している。

開校以来400年以上の歴史のある伝統校である。先日春休みで帰国し、とても明るく饒舌になった彼と盛りだくさんの話をしていて、留学させたことが失敗でなかったことを確信した。最上級生の生徒が7月に卒業すると、全学年で日本人は彼1人になるとの事。いろいろな意味で私としては大変喜ばしい事であると思っている。彼との会話を通じ歴史と伝統に育まれた英国の学校教育の現状を知り、今の日本とついつい比較してしまい溜息が止まらなかった。 
 
体育学校でもないのに何しろ体を鍛える事に熱心である。かつて世界中の植民地から収奪した膨大な富により、我々の常識をはるかに超えたキャンパス内のインフラ整備が成されており、ラグビー(学年ごとに専用のgrass fieldを持っている)、サッカー、テニス、クリケット、バスケットボール、スカッシュなどなど様々なスポーツをバランス良く、授業の一環として毎日のSTUDYの後に取り入れ、ひたすら体を鍛え、「健全な精神は健全な肉体に宿る」を実践している感がある。
 
また毎日ハードな課題が課され宿題も多く、勉学面でも相当厳しそうだが、本人は割とケロッとしていて、何とかなっているようである。親としてちょっと嬉しいのは、忙しすぎてゲームもコミックも携帯もほとんど触れることなく毎日が過ぎているという所である。そして何より素晴らしいと感服したのは教師たちの生徒に接する姿勢だ。

やんちゃで未熟な小中高生たちを立派な英国紳士に育てようと、強い情熱を持って指導する教師が校内に数多くいる事が息子の言葉から推測される。生徒一人一人をじっくり観察し、その個性を伸ばし、結果よりもその思考プロセスを重視するという英国伝統の教育手法が脈々と先輩から後輩へ、400年の時を経て継承されている。また、教育の現場に人種的な偏見に基づくトラブルが発生せぬよう徹底的なルール作りが完成しており、この種の問題はほぼ皆無と聞いている。

かつて世界を制覇した大英帝国のしたたかな深謀遠慮の下、世界中から前途有為の若者を集め英国流の教育を施し母国に戻す。ちょうど戦前日本で教育を受け親日派となった台湾の「李登輝」元総統を連想させ、教育による世界戦略を邪推させる。全くの個人的な見解ではあるが、世界はやはり英米中心に様々なルールが作られ支配されている事を最近しばしば感じる。
 
いろいろな意味で世界の中心にある英国で教育を受けられる息子は本当に幸せな奴だとしみじみ思う。

2014年02月17日

50年ぶりの大雪

今年の足利市は2月8日、15日と、2週連続で、50年ぶりの大雪に見舞われた。

腰の具合が良くなった私は9日の日曜日、早起きして病院駐車場の雪かきをした。結構早起きして行ったつもりだったが、既にカイロプラクターの峰崎が活動を開始しており、彼に合流する事になった。とりあえずプラウドとボヌールのお客さんが駐車場から治療ユニットまでスムーズにアプローチできるだけのスペースは確保しなければということで、二人で久しぶりにいい汗を流すことになった。

つい夢中でやってしまったが、案の定、雪かきが終わるころから腰痛と右坐骨神経痛が再燃して来た。いつも患者さんに言っている事で、15分に一回位休憩を入れながら作業するなどという事は、診察時の指導としてはもっともらしく聞こえるが、作業というものは一旦始まると、休みなく進めてしまうもので現実には無理だと実感した。

さてその一週間後、14日夜から降り続いた豪雪は足利市内を埋め尽くした。

そんな中、15日(土)の早朝6時、7時に目覚ましを掛け熟睡中の私の携帯が鳴った。それは当院事務スタッフからのものだった。15日朝の病院鍵開け当番の子が、まだ新人で鍵開けに慣れておらず、心配で電話した所、雪が深くて病院に行けそうもないとの返事。それではこんな悪天候の中、わざわざ来院される患者さんに迷惑がかかってしまうとの一心で、居ても立っても居られなくなり、何とか頑張って病院まで駆け付けたが、鍵がなくて中に入れない。途方に暮れ、恐る恐る私の携帯に連絡を入れたと言う訳だった。

取るものも取りあえず、パジャマにウィンドブレーカーのまま車を飛ばし病院に到着すると、正面玄関前に当院スタッフが二人、さらに病院西側の日の当たらない側にある職員通用口に車を進めると、そこには寒さに震え立ち尽くす、私に電話を掛けてきた事務スタッフの姿があった。これにはさすがに、やられたという思いで打ちのめされ、こんなにまで病院の事、患者さんの事を思っているスタッフがいたことに痛く感動させられた。

いつも皆に言っている事だが、人は何か大きなトラブルに見舞われた時、非日常的な状況に遭遇した時、その人の本領が発揮され、真価が問われるものだと思う。悪天候の中、スタッフ各自さまざまな知恵を絞り何とか病院までたどり着き、結局いつも通りの診療を行うことが出来た。

私はこんな素晴らしいスタッフ達と一緒に仕事ができる事を誇りに思うし、またそんな環境で働ける自分は、本当に幸せ者だと、大雪のおかげで改めて再認識することが出来た。