Private Life

2016年01月08日

本を出版するという事

先日、東京の有名な出版社から突然連絡があり、編集者と当院で面会する機会がありました。訪問の目的は、私の「わたなべ整形外科院長ブログ」を一冊の本にまとめて出版しませんかという事でした。私には前々からその予定があったので、渡りに船と彼らの提案を最後まで聞くことになりました。最後に出版に当たっての費用や実例集などの資料をいただき、後日こちらから連絡しますという事でお開きになりました。

金額はどの程度が妥当なのか、皆目見当が付かなかったので知り合いに相談してみると、大体半額位で栃木県内の新聞社から出版したという方がいらっしゃいました。またもう既に何冊か自分の著作のある従兄に電話した所、「え~、邦夫ちゃんお金払って本出すの?俺お金もらって本出した経験しかないからアドバイスは出来ないよ、ごめんね。」とつれない返事でした。

ここで改めて出版社のスタッフのセールストークを思い起こしてみた所、段々と冷静に今回の一連のエピソードを検証することが出来ました。別に彼らは私のブログの内容に感銘を受けたわけではなく、病院の院長や会社の社長、政治家、僧侶その他ある程度の財力があり社会的な地位もある一群にターゲットを絞り込み、ある時はゴーストライターとして本を出版させ、その功名心を満たし、あわよくば組織に何らかの利益をもたらす手段として本を活用しては如何でしょうかという提案を携え、自分の出版社の営業活動の一環として東京から出張して来たという事のようでした。

以前から時々、院長ブログをA4のクリアファイルごとプレゼントするという場面がありましたが、これはよく考えてみると結構厄介な贈り物で、何しろかさ張り、置く場所に困るだろうなと最近反省しきりです。捨てるわけにもいかずそうかといって何回も読み返すほどの物でもないしで、受け取った方はさぞかし難渋しているのではとお察しします。

そんな訳で、コンパクトな1冊の本にまとめた方がご迷惑をお掛けしないだろうという事で出版を思い立ったわけですが、自分には特に功名心もないし営業用に使う予定もないので、余り高額な出費は本来の趣旨から逸脱し、出版社を儲けさせるだけだろうと考えています。インターネットの進歩に伴い本を読む人が減っている中、あえて活字で印刷された本を出版する意味をしっかりと自分なりに確認しながら、その作成に向け出来るだけコストパフォーマンスの良い出版社をこれから地道に探してみようかと考えています。        2016.1.8

高校時代とても優秀で担任の教師からも勧められ、偏差値最難関の医学部に進む学生がいます。入学後も学問一筋、他の学部に進学した同級生達が大学生活を大いにエンジョイするのを傍目で見ながら膨大な勉強量をこなし、6年間の学生生活の後無事医師国家試験に合格。2年間の新臨床研修医期間をこなし、晴れてドクターとしての生活がスタートしますが、そこに待ち受けていたのは大学院へ入学して博士号を取得するお誘い。流れでなんとなく大学院に入ったはいいが大学でのポジションは基本的に無給医局員。それどころか大学院の4年間は授業料を払わねばなりません。そしてそのほとんどの時間を大学内の研究室で過ごし、時々市中の病院の当直や、外来診療のアルバイトをして生活費を稼ぎ出すという毎日です。大学院を卒業し無事博士号を取得しても大学にスタッフとして残れる人はごく少数で、大半は関連病院に派遣され、外来診療、手術、入院中の受け持ち患者さんのケア、学会活動(研究と論文の作成)、等々に追われる日々を過ごし、1~2年のスパンで医局の命を受け転勤を繰り返す為、永年勤続の昇給はほとんど望めません。また、数年前から製薬メーカーの経営上の戦略変更により接待が事実上禁止となった為、年に数回あったグルメな日々も消えてしまいました。

5年10年とこんな生活を続け、縁あって開業するケースもあり、大学のスタッフとして迎えられるケースもあります。しかし大学に残ったとしても優秀であればある程、その課される仕事量は増え続け、外来診療、手術、受け持ち患者さんの回診、新人医師の教育、など一連のDutyが終わった後ようやく自分の持つテーマについての研究、そして日本中世界中で発信される最新の文献に目を通し、学会活動用の論文作成、医学雑誌社からの原稿依頼の執筆、この合間をぬって家族の生活費を得る為に関連の医療機関での外来や手術をこなし、いつも自宅に帰るのは深夜になってしまいます。本当に体がいくつあっても足りない、と言うより毎日激しく消耗し疲れています。医師は体力がなければやっていけないというのは本当だと思います。

毎朝4時半に起床出勤し大学でのDutyがスタートするまでの数時間は誰にも邪魔されず集中して自分の研究に打ち込めるとても貴重な時間なんですと、親しくしている某大学病院勤務の医師が言っていました。こんな中、大学に残り相当優秀であっても教授にまで上り詰めるのはとても大変です。というのも教授職は年齢的に定年まで大体任期10年前後就任可能なことを目安に選ばれますが、たまたまポジションが塞がっていればどんなに優秀でも教授にはなれない訳です。また仮に開業したとしても、これに伴って背負い込まねばならぬ課題は山積しています。正直な話、学問や研究に人生の大半の時間を注いで来た医師がすべて有能な経営管理者となれるわけではありません。

しかしこれまでは医師免許取得というとても高いハードルをクリアし、また人の命を預かる尊い職業ということで世間からのリスペクトもあり、多少拙い経営差配でも何とか黒字でやっていけるような、国のシステムとしてのサポートがありましたが、最近では財務省の極端な医療費抑制政策の下、かなり厳しい状況となっており経営環境の悪化した医療機関も数多く存在します。


そして病院が倒産するとマスコミは一斉に経営感覚の無い無能な院長だと決めつけますが、これにはかなり違和感を覚えます。昔から「医は仁術」と言われますが、卓越した経営感覚を持ち、職員の待遇を落とさず、患者さん本位の医療を展開することの出来る院長を生み出すような教育環境は今の日本にはありません。

だからと言って経営コンサルタントの提案を鵜呑みにし、いわゆる利益追求型の経営に舵を切った時、患者不在の診療にならないか、冷徹なビジネスの論理を医療の世界に導入する危うさを体感することになるのではなどいろいろ危惧されます。

さてオバマケアが2年前にスタートして以来アメリカでは一般市民を取り巻く医療環境の悪化が一段と深刻化しており、また医師の自殺率は上昇の一途を辿っており、専門職の中で一番の高率となっているそうです。日本でも、真面目にコツコツと励んでいる多くの医師たちの待遇がもう少し改善しないと、今後優秀な学生が医学部に入って来なくなり、我が国の医療水準全体のレベルダウンにも繋がりかねないのではと心配しております。


また最近のもう一つ心配な傾向として、医療をビジネスチャンスと見て様々な他業種からの参入が相次いでいるという問題があります。
確かに膨大な量の勉強をして資格を取り、その後も営々として最新の医療水準を維持する為一生勉強を続ける宿命を持った医師という職業集団は、総合的な経営管理学を学んだ人達からするとその経営手腕は本当に稚拙であり、とても勝負にならないのかも知れません。

ここに商機を見出し、したたかな百戦錬磨の企業並みの経営ノウハウを投入することで大きな利益を上げる法人が急増しております。
これまで、もう少し工夫すればもっと利益が出るのにと、傍から見て歯がゆいような、患者さん本位の運営をしていた分野に、「医療は困っている患者さんを助ける奉仕活動である」という視点ではなくビジネスとして割り切って経営する人達が参入して来ました。様々な法人が介護保険絡み、院外処方薬局絡みで参入し、中にはM&Aの手法で次々に病院を買収しその傘下に収め、巨大な医療集団を構築する動きもあります。
 
医師になれば多少は豊かな暮らしが出来、また患者さんの治療や医学の研究を通じて世の中にいくらかでも貢献出来るかも知れない、やりがいのある職業として選んだはずが、夢と現実の大きなギャップにただ茫然としながらも日々のDUTYをこなし、献身的な医療を提供している医師達を私はたくさん知っています。

2015年11月14日

情報公開について

私はどうしても止む負えぬ家庭の事情で1年に1~2度飛行機に乗りますが、搭乗するたび今度こそ墜落して命を落とすのではないかという予感がします。率直な話、あんな大勢の乗客と大量の荷物を搭載した物体が空を飛ぶという不自然さを考えただけで空恐ろしい限りです。飛行中CA達はことさらに平静を装い、「これから多少気流の悪いエリアを通過しますので、シートベルトをお締め下さい。」などと言い放つことがありますが、これまで何回か生きた心地のしない経験をし、これで終わりかなと思ったこともあります。

こんな中、いつも考える事があります。それは情報公開という事です。フライトを選択する際、搭乗予約を確定する前に、勤務するパイロットや搭乗予定の飛行機に関する詳細な情報が入手出来るとしたら、多少割高になったとしても、よりリスクの低いものを選びたいと心底思います。しかしこのささやかな願いが叶えられることはなく、これらの詳細な情報が開示されるのはいつも墜落して多くの犠牲者が出た後です。パイロットに自殺願望があったり、機体が何回も事故を起こしたことのあるポンコツで、搭乗員の間では出来れば乗りたくないと思われている飛行機に乗せられるかも知れないのに、これらの情報は一般人には一切公開されない仕組みになっています。

日本では様々な場面で真実の情報が公開されていないもどかしさを感じることが多いです。2011.3.11の東日本大震災に続いて起きた福島第一原発事故は、ここに来てようやく人災である側面があぶり出されて来ていますが、まだまだ真実の情報不足でその真相究明には程遠い感じがします。

こんな中、安倍首相はオリンピック誘致のプレゼンの際、放射能は完全にコントロールされていると大嘘をついていましたが、現実には放射能は今尚拡散を続けており、終息のめどは全く立っていません。大気・地下水・土壌・海水の放射能汚染の実態はほとんど正確には公表されず、福島で甲状腺がんに罹る子供たちが増加しているという事実や、農作物や魚介類の汚染実態の公表など、政府はこれからも真実の公表を控え、ひたすら安全安全と報道することで、原発事故そして放射能汚染の矮小化・過少化に努める方針のようです。

とても寂しい話ですが海外メディアやアメリカ政府の報道からようやく事実を知らされるという事が最近よくあります。いずれにせよ、このままのペースで放射能汚染の範囲が広がって行くと、東日本での居住が困難となる日もそう遠くはないような気がします。

ここは政府も偽りの安全宣言ばかり出していないで、真実の情報を公開し、日本国の英知、そして不足であれば世界中の専門家を国費で招聘し意見を聞き、本気で放射能汚染の封じ込めに当たってもらいたいものです。 

2015年09月30日

こんな人になりたい

洗練された人、行動がスマートな人、物腰が上品な人、オシャレな人、スタイルのいい人、服装のセンスのいい人、歩き方がかっこいい人、流暢な・美しい日本語が話せる人、姿勢のいい人、笑顔がステキな人、上品に日焼けしている人、ユーモアのセンスがある人、知識が豊富で話し上手な人、一緒にいて楽しい人、一緒にいると元気にさせてくれる人、一緒にいると癒される人、正義感の強い人、不正を憎み戦う勇気を持っている人、自分よりも立場の弱い人に対してもやさしく同じ目線で接する人、誰に対しても決して媚びない人、誰に対しても親切で平等に振る舞う人、真実を探求する強い意志を持った人、初心を忘れず決してぶれない人、常に謙虚な人、いつも胸を張って行動している人、大きな仕事を成し遂げても自分は運が良かっただけと言い本当にそう思っている人、高齢者を敬い感謝し心からのサポートを惜しまない人、メンタル面でのコントローが上手でいつも上機嫌な人、子供に好かれる人、いろいろな意味で頼りにされる人、レストランに行くとたった一回で常連並みの対応をしてもらえるようになってしまう人、ワインを選ぶ時ソムリエのうんちくに惑わされず自分なりの基準を持っている人、美味しい料理をリーズナブルに提供してくれる店を様々なジャンルに亘り知っている人、自分に似合う服が揃っている店を知っている人、様々なジャンルの音楽を愛し自分のお気に入りがいつでも引き出せる人、スポーツを愛し定期的にエクササイズをしている人、酒の飲み方を知っており陽気な酒飲みである人、年齢・性別・国籍を問わず愛される人、英語が普通に話せて海外でも不自由しない人、日本の国を愛し日本人であることに誇りを持っている人、自分はnationalistではなくpatriotだと固く信じている人、一通りのダンスが出来る人、パーティーを主催しゲストが楽しむ姿を見て幸せを感じる人、既成概念に囚われず常に柔軟な発想で物事を処理する人、既得権益にしがみつき努力しない人が大嫌いな人、同業者目線ではなく常に患者さん目線で行動する人、世話焼きで面倒見がいい人、スタッフから尊敬される存在になることを目指している人、自分にコミットするすべての人が幸せになることを常に願い行動している人、患者さんを整形外科領域からだけでなく常にトータルに診ることを心掛けている人、外国人に対するコンプレックス・差別・偏見がなく自然体で付き合える人、太陽の光を浴びると全身にエネルギーが満たされると感じている人、汗を流しシャワーを浴びビールを飲むのが好きな人、遊びでも仕事でも常に全力投球な人、アイディアが豊富でそれを形にすることが得意な人、気配り・心配りの出来る人、バランス感覚の優れた人、時代の流れを読む先見性に優れた人、様々なジャンルの専門家と交流があり互いにリスペクトし合っている人、emergencyに対する対応能力に優れた人、追い詰められれば追い詰められるほどパワー充満し普段以上の強烈な力を発揮する(逆境に強い)人、いざという時頼りになる人、男性からも女性からも人気がある人、新しい勤務先で一番最初に仲良くなるのはお掃除のおばちゃん達という人、群れて傷を舐め合うのが嫌いな人、狡い人卑怯な人を極度に嫌う人、肩書や名誉を求めずそれに無頓着な人、精神的にも肉体的にも極めてタフな人、常に自分より凄い人尊敬できる人を知っていてその人に少しでも追い付こうと努力している人、情報収集のアンテナが高く常にUpdateで正確な情報をバランスよく入手している人、知識人ではなく教養人を目指している人、たった一度しかない一生を大切に生きようといつも心に誓っている人、そんな人になりたい。

2015年08月15日

開業四半世紀

平成27年6月18日、当院主催の院内クラシックコンサート第100回公演が開催され、一応の幕引きとなりました。開業以来1年に4回、小生幼なじみ青山進君の発案で始まり、チャリティーの形で運営し、群響OBの弦楽四重奏を中心にピアノや管楽器なども随時参加するコンサートでしたが、いよいよその最終回を迎えるにあたり感慨ひとしおです。群馬交響楽団の現役の演奏家達にも、コンサートマスターをはじめ多数出演してコンサートを盛り上げていただきました。

質の高いクラシック音楽の生演奏を、気楽に普段着で楽しんでもらおうというコンセプトで、いわゆるメセナ活動の真似事をさせていただきましたが、100回のコンサートを運営する過程で我々は多くの事を学び、また多くの感動を、コンサートにお集まりいただいた皆さま方と共有できた事を心から感謝しております。

さて、平成元年10月の開業から25年が経過し、26年目に足を踏み入れた「わたなべ整形外科」ですが、この頃着実に重ねた年齢のおかげで、副院長も小生も大分老朽化が目立ち始めております。こんな我々をしっかりサポートし、ボロが出ないように優しく、時には厳しくケアしてくれているのはズラリ揃ったベテランナースと事務、リハビリの精鋭達です。開業以来の生え抜き、あるいは看護学生として18歳で就職して以来などという、ある意味家族よりも一緒に過ごした時間が長いのではというスタッフ達も健在であり、彼らに支えられながら、もう少しの間現役で頑張ってみようかと考えております。

思いっきりの笑顔で患者さんをお迎えし、親切・丁寧に最高水準の医療をさりげなく提供することでADL(日常生活動作)の改善からQOL(生活の質)の向上に繋げるという地道な営みを日々続けて来たつもりですが、最近ようやく、自分が当院を開業する前に描いていた、一つの理想とした形に近づいて来たような気がします。院内を見渡すとスタッフにも患者さんにも自然な笑顔があふれており、生き生きと楽しそうに働くスタッフと患者さんとの間にはしっかりとした信頼関係が生まれ、徐々にそれが確固たるものに育ちつつあることを感じております。

また当院では開業以来一貫して院内処方を採用しておりますが、このシステムは診療終了後、院内の会計窓口でお薬が手渡され、しかも全く同じ治療、全く同じ薬が処方されたとしても、院外処方を採用している医療機関を受診した時に比べ、常に3割前後、患者さんのご負担額が少ないという画期的なものです。その反面これを採用する医療機関に対してはかなり経営的に無理を強いるものですが、患者さんの受けるメリットは計り知れないものがあり、今後もちょっとやせ我慢してでも院内処方を堅持するつもりでおります。

「すべては患者さんの為に!」

東京オリンピックが、その準備の段階で大きく揺れています。

メインスタジアムとなるべき新国立競技場の建設問題に端を発し、最近ではロゴマークの盗作疑惑まで吹き出す始末。この先一体どうなってしまうのか心配です。これら一連の騒動を通じ、ちょっと気になるのは、相も変わらず責任の所在がうやむやにされているという事です。誰も責任を取らず、トカゲのしっぽ切りで事態の収拾を図ろうとする関係者たちの厚顔無恥な態度には吐き気すら覚えます。

新渡戸稲造が世界に発信した「武士道精神」は一体どこへ消えてしまったのか。オリンピック組織委員会の会長を務める森氏などの世代は、その幼少期の教育を通じ、慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠など多くの日本人の行動基準、そして日本の道徳の中核として機能して来た武士道精神を徹底的に叩き込まれており、「名誉」と「恥」の意識は今の若者達より数倍研ぎ澄まされているはずなのに、一連の騒動に際し彼の口から出て来るコメントは恐るべき責任転嫁の連発であり、卑怯で恥知らずと言われても何ら弁解の余地はないと思われます。

是が非でもオリンピックを日本に誘致したい余り、実現不可能な空手形を連発し、何の根拠もなしに福島原発の汚染水処理は完璧であると言い放つ安倍首相の自信に満ちたIOC総会でのスピーチにも、ただ呆れるばかりです。

また、ロゴマークの盗作疑惑についても、もし万が一その製作のプロセスに不正がなかったとしても、結果として出来上がった作品が酷似したものであるならば、やはり3年前からベルギーのリエージュ劇場で使用されているロゴに敬意を表し、潔く撤回すべきものと考えます。

さらにオリンピックの開催日が7月24日の開会式から8月9日の閉会式までとなった経緯にも大きな疑問が付きまといます。欧米のプロスポーツ日程を優先し、35℃を超える猛暑日が続く中、世界の超一流アスリートたちの健康被害あるいは参加辞退が相次ぐなどという状況を避ける意味でも、この時期の開催はかなり無謀であると考えます。

こんな中、岩手、宮城、福島の3県では、今なお8万人近くの方々が仮設住宅暮らしを強いられています。物事の優先順位から言って、福島原発の汚染水処理とその原発廃炉に向けた作業工程の迅速化、そして今なお避難されている多くの住民の方々に一日も早く平和な日常が訪れるように復興支援することが最優先事項であり、オリンピック施設建設の為、復興プロセスに遅れが出るなど断固許されない事と考えます。  

2015年05月24日

スマホの功罪

私はスマートフォン(スマホ)を持っていません。その代りガラパゴス携帯とiPad Air 2を常時持ち歩き、院長室にはちょっと大容量のデスクトップ型パソコンを設置し、用途に応じてこれらを使い分け、別に何の不自由も感ぜず快適なSNSライフを満喫しています。今の世の中ともすればガラパゴス携帯は新しい物に適応できない年寄りの持ち物であるかのような偏見を持つ向きもあるようですが、これは勘違いも甚だしいと考えております。

こんな中、ここ数年来スマホの爆発的な性能の向上、普及と共にその様々な弊害が叫ばれるようになって来ました。
整形外科医の立場から言わせてもらうと、あんな小さな画面を長時間にわたって凝視し、指先で画面をタッチする操作は頸椎の変形をもたらし、肩こりや手のシビレ、視力低下などを引き起こす作業であり、まったくのナンセンスであると考えています。どうしても必要に迫られてスマホと付き合わなければならない場合、最低でも15分に一回位はスマホから目を離し頸椎のposition change 、stretchをすべきであると考えています。

私にとって特に奇異に映るのは、仲間が集まって食事会や飲み会をしている間中、一部の人間、時にはほぼ全員が、テーブルの下あるいは公然とテーブルの上で、背中を丸めチマチマとスマホを操作している姿であり、これはとても滑稽で哀れを誘う光景でもあります。これではせっかく時間を調整して集まった仲間との貴重なコミュニケイションの時間を台無しにするだけでなく、リアルな場での活発な意見交換のチャンスを自ら放棄することにもなりかねません。

たしかにスマホがとても有用なツールであることは認めますが、所詮は人間の便利の為に作られた物であり、これに振り回され貴重な時間を浪費しスマホ依存症のようになって行くのはちょっと悲し過ぎます。

こんな中、信州大学長の山沢清人氏が今年4月の入学式で行った「スマホやめますか、それとも大学やめますか」のスピーチはとても素晴らしく、私が常日頃感じていたことを、明快な言葉で語ってもらえたような気がします。
スマホに振り回され無為に時間を過ごすことなく、本を読み、友人や先輩と話をし、自分の持つ知識を総動員して物事を根本から考える習慣を身に付け、斜に構えず全力で行動しようという主張には大いなる共感を覚えました。

2015年04月30日

格差社会

フリードマンらの提唱した「市場原理主義」の浸透と共に、我が国でも貧富の差が拡大し、昨年逝去された宇沢弘文先生の心配されていた格差社会がいよいよ日本でも現実のものとなって来ました。世界でも稀な、平和で豊か、そして極めて社会主義的な平等を実現し、一億総中流と言われた日本でしたが、最近これもついに崩れ始めたなと感じております。

極端な格差社会は米国で既に進行中であり、企業トップ達の得る法外な報酬は我々の想像をはるかに超え、企業によってはCEO(最高経営責任者)と一般従業員で500倍前後の格差が存在するところもあります。これに加えて問題なのは米国では中流階級が崩壊しつつあり、ケガや病気、失業や倒産などを契機に自己破産して貧困層、そしてホームレスへと転落するというシビアな現実があります。

こんな中、今年1月下旬に来日したフランスの経済学者トマ・ピケティ氏は、その著書「21世紀の資本」を通じ、世界的に拡大しつつある格差社会の問題点を鋭く指摘し、警鐘を鳴らしています。たしかに彼の膨大なデータに基づく科学的な検証は傾聴に値し説得力もありますが、その主張を全面的に受け入れ実行するには少し違和感を覚えます。とりわけ富裕層へのこれまで以上の課税強化と相続税率のアップは、頑張った人とそうではなかった人にあまり差が出ないような社会構造になる危険性を有しており、猛烈に努力して成功し豊かな暮らしがしたいという若者が減り、社会の活力が削がれることにならないか心配です。

ここで少し興味深いのは、日本の大企業の役員達の報酬レベルが欧米、特に米国に比べ極端に低いということです。社会の上位1%の人達が富の大半を握ってしまう米国において格差社会が進行するのはとても理解し易いのですが、社長達の報酬があまり高くない日本においても格差が開きつつある原因はどこにあるのか、様々な分析が為されているようです。私は政府の政策誘導により非正規労働者が急増している事、大企業が内部留保を莫大に抱え込み(資本金10億円以上の大企業の内部留保はついに285兆円を超えました)、一般社員の待遇改善や下請け企業からの納入価を引き上げるなどの、利益の正当な分配が成されていないことが大きな原因となっているような気がします。

こうした状況の中、以前訪問したインドネシアのバリ島とフィリピンのセブ島の島民たちの暮らしぶりが突然思い出されました。同じように貧しい環境の中で生活している人達ですが、市中に笑顔あふれるバリと、スラム街や暗い表情の人が目立つセブ。この違いはどこから来るのか、とても興味をそそられます。そして、バリでも大変な格差社会が厳然と存在するにも拘わらずピケティが指摘するような問題はあまり目立たず、人々がそれぞれの身分、職域の中で精神的にとても豊かな暮らしを営んでいる様には頭が下がり、多くの事を教えられた気がします。

2015年01月20日

オバマケアの光と影

理想の医療制度としてWHOが称賛する日本の国民皆保険制度。

この国民皆保険を5000万人の無保険者のいるアメリカに導入しようとして果たせなかったヒラリー・クリントンの夢を、オバマ大統領が遂に実現した。

この程度の知識で止まっていた私にとって、昨年末に読んだ「沈みゆく大国 アメリカ」という本はかなり衝撃的でした。アメリカを愛して止まぬジャーナリスト、堤未果。彼女だからこそ書けた内容であり、単なる批判書ではなく、アメリカ人に警鐘を鳴らし、改革を促す内容となっています。大分以前からアメリカの医療制度の問題点を指摘する書物は散発的に読んではいましたが、今回は極めてクリアに、その全貌が明らかにされ自分の頭が整理された気がします。

一般的に頭の切れる人の文章は、スラスラと読み易くストレスを感じることなく、あっという間に完読してしまう傾向がありますが、この方の文章も極めて読み易く、続編が待ち遠しい所です。 


以下に内容の一部を抜粋して紹介します。

① 自己破産理由のトップは医療費(医療費が余りにも高額な為、突然のけがや病気で簡単に自己破産に追い込まれる。)
② がん治療薬は自己負担だが、安楽死薬は保険適応。
③ HIV陽性の段階では保険適応外だがエイズを発病したら保険適応。
④ 人生の終わり方を自分で選ぶという崇高な理念のもとに導入された「尊厳死法」は、いつの間にか膨れ上がる医療費に歯止めをかける最大の免罪符となっている。
⑤ 世界最先端の医療技術を誇りながら、毎年4万5000人が適切な治療を受けられず亡くなっている。 
⑥ 政府が薬価交渉権を持たない為、クスリは製薬会社の言い値で売られ、恐ろしく値段が高い。例えば最近発売されたC型肝炎治療薬は1錠10万円。1日1錠1クール12週分のクスリ代だけで840万円。
⑦ アメリカのすべての専門職の中で自殺率1位は医師。その理由は、アメリカの医療は完全に保険会社に支配されており、治療もクスリの処方もすべて保険会社の許可を取らなければならず、医師達はその交渉と書類昨成に膨大な時間を食われ過剰労働となり、何よりもプロの医師としての治療上の裁量権をすべて奪われ、プライドを粉々に潰された為と言われている。

保険会社、製薬会社、銀行、証券会社によってアメリカの医療が蝕まれていく様子が克明に描かれており、とても衝撃的でした。彼らが次のターゲットとして狙っているのが日本であり、TPP批准そして混合診療解禁を突破口としてアメリカの保険会社が日本市場を支配する日もそう遠くはないような嫌な予感がします。

財務省の圧力を受け、医療費を削減することばかりに執心する厚労省の役人たちには、もう少し高い見地から、世界に冠たる我が国の国民皆保険制度を何としてでも守り抜く強い決意を示して欲しいものです。    

2014年10月26日

情報伝達の優先順位

先日、外来診察中の患者さんから「こんな危険なクスリは飲みたくないので、何か他のもっと安全なクスリに切り換えてください。」と言われ、新聞記事の切り抜きを見せられました。指摘を受けたのは「リリカ」というクスリで、神経障害性疼痛や線維筋痛症に対する画期的な治療薬として2010年6月から発売され、現在服用中の患者さんは国内だけで195万人と推計されているものです。記事を拝見すると、この薬を服用中の患者さんの1人に重篤な副作用が発生したという内容で、とんでもない危険なクスリであるという誤解を与えかねない、一方的で薄っぺらな内容でした。何より最悪なのは、我々医療機関へ、この情報を伝達する前に、一般市民に向けてかなりヒステリック報道がなされたという点です。かつて2010年2月にも、痛風治療薬「ユリノーム」をめぐって似たような事例があり、またかと、ちょっとやり切れない気分になりました。

何かクスリに関する副作用が発生した際、担当医はその製薬メーカーまたは厚労省に情報提供し、そこで詳細な検討が加えられた後、その重篤度の度合いに応じて全国の医療機関に対し副作用に関する情報提供が行われ、患者さんの診療に反映するものと認識しております。ところがこれら二つのケースではいずれも、その副作用情報が医療機関に伝達される前に、マスメディアを通じて一般市民に伝えられてしまった為、患者さんの間にかなりの誤解と混乱が生じました。

ユリノームに関するニュースの流れた当日は電話で、「お前は何でこんな危険なクスリを俺に飲ませていたんだ!」と怒鳴られたり、服用を自分の判断で勝手に中断したり、あるいはこのマスコミ報道以来、他の医療機関に転院したりと、それまで大切に築き上げて来た医師と患者さんとの信頼関係に傷がつくというケースもありました。

これは厚労省からの垂れ流し情報を、自分達でしっかりと検証もせず大げさに取り上げるという、三流と言われ続ける我が国のマスコミの本領発揮などと言って笑って済ませられるものではなく、最大の問題は厚労省の役人が医療機関に副作用情報の伝達をする前に、マスコミに対し中途半端な形で情報をリークしたという事であり、この責任はかなり重いと感じました。

すべてのクスリには効果だけでなく副作用が発生するリスクがあります。我々は副作用の発生を極力抑え、その効果を最大限引き出すような服薬指導を行なっておりますが、その実現の為にはクスリを服用される患者さんに対し常にその副作用も含めた正確で最新の情報提供を行ない、患者さんとの信頼関係を構築する中でその理解と協力を得る事が極めて重要であると考えています。

今回マスコミがやり玉に挙げたリリカに関しても、その副作用の発現頻度は他の薬剤と比べて特に高いものではなく、現在でも多くの患者さんが服用され効果を実感されているクスリです。こんな中、同じような事例が続いたことはとても残念であり、厚労省の体質に何の反省も改善もないことを確認したような気がしてちょっと暗い気持ちになりました。