院長からの情報発信箱

2011年04月12日

鍼灸も危ない

近畿大学整形外科教授 浜西 千秋

 鍼灸師は国家資格です。これまでは医師の同意があれば慢性の6疾患(腰痛、五十肩、頸腕症候群、リウマチ、神経痛、頸椎捻挫後遺症)を鍼灸施療し、療養費の保険請求が可能でした。しかし、現実には適当な治療手段はないと医療を“放棄”してまで鍼灸師に同意を与える医師は少なく、何よりも自分の技術に誇りを持っている多くの鍼灸師は保険適用に関係なく広く鍼治療を行い、施術の代価としてふさわしい額を患者さんから直接徴収してきました。

 同じ国家資格の手技施療師である実数2万人の柔道整復師の場合は事実上医師の同意書なしに自由に保険施療を行い、しかも受領委任払い制度を利用して患者さんの代わりに療養費を請求し、年に約3,000億円もの保険収入があるのに対し、15万人の鍼灸師の保険療養費収入は年70億円くらいです。そのため、一部の鍼灸師には強い不公平感が常にあり、医師の同意書条項を反故にして自由に『診断』して『保険鍼灸施療』を行いたいという悲願がありました。

 それから、柔道整復師のように厚労省から受領委任払い通達を手に入れて、同等の収入を得たいという希望も当然ありました。実は医師の同意書さえあれば、これまででも鍼灸師は民法による患者さんからの委任行為として事実上受領委任払いを利用できましたから、要は医師の同意書条項こそが最大の障壁であるわけです。

 これまでも鍼灸業界が支援する国会議員団が動員され、昨年の基本回数制限撤廃などさまざまの要求が実現してきましたが、最近2名の国会議員により衆参両院議長あてに質問書という形で昭和25年や42年に通達された医師同意を必要とする条項の有効性、文言の是非を問うなどしてゆさぶりがかけられています。この回答は参議院で9月2日に行われたようですが、内容はまだ把握していません。

 また、千葉地裁ではある鍼灸団体が慰謝料の請求と謝罪広告、そして受領委任払いを求めて厚労省と民法委任を認めない保険組合を相手取って提訴しています。そして結審が近づいたため、被告側が8月20日に和解の席につきました。1回目の交渉は当然の事ながら決裂したようですが、国は慰謝料や謝罪広告は決して認めないでしょうから、結局は既に現実には存在している受領委任払いを課長か局長通達で差し出す可能性が大です。その上で政治家の圧力には弱く、柔道整復師で前例がある厚労省ですから、同意書条項を事実上骨抜きにする通達を国民の知らないすきに出してしまう可能性が大いにありますし、果たして『医師による適当な手段のないもの』という文言は保険発150号という医療課長通知で骨抜きにされてしまいました。

 しかし、そうなると柔道整複業界に続いて鍼灸業界にまで、レントゲンやMRIや血液検査ほかさまざまの診断補助手段を何も持たないのでどんな深刻な病気が隠れていても診断できないし、診断に責任を取ることはない、病気を治すのではなく患者さんから訴えられている痛みだけに施療するのであるとし、医師の関与や正しい病態の診断なしに『診断責任のない手技施療』を『医療行為』として認め、しかも深刻な『医療財政』から大きく削り取って負担させる道が開かれることになります。

 今年4月には2,700人近い鍼灸師が誕生し、柔道整復師養成校と同じ数の59校に5,000人が入学しましたから、3年後にはおそらく5,000人の柔道整復師と5,000人の鍼灸師が国家免許を取得するでしょう。何より必要な実習経験が極めて乏しい未熟な新人晴眼鍼師による鍼の自由保険施療となると、柔道整復という独自性の乏しい手技施療とは異なり、鍼刺入という明らかに患者さんへの侵襲施術ですから疲労感、倦怠感、症状の一次的悪化、出血、掻痒、めまい、気分不良といった副作用や、患者さんも知らない糖尿病があったりすると、いくら清潔操作しても必発する感染、気胸、脊髄損傷、B型肝炎、臓器内異物、銀皮症といった既に報告されている合併症が増加し、それこそ国民の健康を損なう大変な社会問題となりかねません。痛みをともなう施療だから、患者さんの数はそれほど増えないという意見もあります。しかし、数ではなく危険な制度になるということが重大な問題なのです。

 鍼灸という東洋医学に基づいた伝統的業界は、激増する“保険”鍼灸師によって招来されかねない事態、鍼灸が視力障害者も交えて民間施療としてこれまで地道に築いてきた信用をも一気にくつがえしてしまいかねない事態を憂慮すべきでしょう。この事態でもなお被差別意識で政治家や裁判所まで動員して権利闘争しようとする部分がどうしてあるのか、国民の一人として憂慮せざるをえません。

 中国へ鍼麻酔を学びに大量の医師が日本から押しかけた時代もありました。鍼冶療は確かに生体の持つ神経生理系統を直接かき乱す効果があり、注意深く行えば手技施療として有効です。だからこそ一層乱療は危険であるとともに、医療による正しいコントロールや連携が欠かせません。むしろ、医師の同意の内容を一層吟味し、現代医学の視点からガイドラインを策定し、医師や国民が安心してゆだねることができる鍼灸師・業界になるような闘争こそが求められているのではないでしょうか。

 既に有責医師による診断と同意からの『離脱』を果たした柔道整復業界は、毎年3,000人にものぼる大量の新人資格者を既に抱え込み、業界内部は混乱し、至る所に開業しつつある接骨院の過当競争と乱療によって国民の健康をさらに損ない、しかもそれが公になりかねない業界始まって以来の危機的状態を経験しているところです。もしも鍼灸業界が同じわだちを踏むなら、もっと深刻に、しかも大規模に社会問題化することを考えて欲しいと思います。

 金儲けしか考えない学園産業によって無秩序に乱立された計120もの鍼灸学校や柔道整復師養成校から卒業してくる非医師・施療師群は数年後には毎年1万人に達し、医師数をはるかに凌駕し、国民の将来の健康を考える上で極めて大きな問題であります。既に介護保険を利用した不正も増えつつあります。これらの事態は整形外科医を取りまく問題ではありません。ペインクリニックを経営する麻酔科医やリハビリテーション医の問題でもありません。診断責任と治療責任を果たすことを求められている全ての医師そして医療をないがしろにしようとする、国そして社会からの挑戦ととらえるべきではないでしょうか。

2003年9月18日『Medical Tribune』
リレーエッセイ281 続 時間の風景 より

2011年04月12日

上杉鷹山に学ぶ

 今を生きる我々日本人にとって、何よりも大切なことは諸外国の事例にばかり学ぼうとする姿勢を改め、自分自身の歴史に学ぶことである。

 日本の歴史の誇るべきところは西洋が戦争と殺戮に明け暮れて、人間不信に基づく文化を発展させた近世に、人間の信頼と友愛に基づく文化を発展させたところにある。西洋の文化はいわばカギの文化である。不心得者がいても物が盗まれないように、というのが西洋式である。日本の文化はこれに対して障子の文化である。障子やふすまにカギをかけることはできない。不心得者がいなくなるように教育するのが日本式である。

 戦後、せっせとアメリカの文化と法制度を移植し、必死に働いて物質的に豊かになったが、日本人は幸せになったろうか?

 現代人は米沢15万石の領主であった上杉鷹山が生涯一度も口にしたことのないような世界の珍味を毎日のように食べながら、なお、グルメ情報に食欲をかきたてられ、肥満と生活習慣病におびえつつ暮らしている。

 かつて高嶺の花と思えたカラーテレビや、冷蔵庫、乗用車までがほとんどの家庭に行きわたり、鷹山が見たらその豊かさと便利さに目を回すであろう。しかし、私たちは15万石の領主が驚くばかりの暮らしをして、なお満たされることがない。

 私たちが目にし、耳に聞き、あるいは感ずるすべてのものが私たちに何かを売りつけようとする努力を表すものである。われわれの意識の中に入り込むために、広告は絶えずショックを与え、いらいらさせ、さもなければ昔中国で行われたという水滴をたらす拷問のようなやり方で、つまりたえず反復を加えることで物欲をかきたてようとする。

 飢餓にさいなまれる国民が死刑になる危険を冒して畑の大根1本を盗む北朝鮮と、くまなくビデオカメラで監視されたコンビニで万引きや強盗が起こるのが日常茶飯事となってしまった飽食の日本と、棒杭の無人販売が可能であった社会と、どの道を歩むべきか、明らかではなかろうか。

 今や、日本には民主主義のための法制度は十分に整った。今こそ、人間を尊重する精神と、自己と同様に他人の自由を重んずる気持ちと、好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度を持つ国民を育成しようではないか。

2004.1.31.

ナチュバイタル 12粒、ミルチカラ 6粒、トラネキサム酸 3粒、コエンザイムQ10(かむタイプ) 1粒
ノコギリヤシ 2粒、α-リポ酸 2粒、ビタミンBコンプレックス 6粒、DHA&EPA 6粒、ギンコ 3粒
ビタミンC 4200mg、ビタミンE(ユベラN)3粒、エビオス 30粒、キレイな水 2.5 ℓ

(番外編)
プロペシア 1粒 (AGA対策)、ロゲイン(5%)、プラセンタ(JBPポーサイン)3粒

(朝食メニュー)
ヴェジタブルジュース(玲子オリジナル) めかぶ、納豆(ねぎ、生卵) 発芽玄米 黒胡麻 味噌汁

(2011年4月現在) 

いつの頃からか、我が国では多くの医療機関で、待合室にいる患者さんに声をかける際、「患者さん」ではなくて、「患者様」と呼ぶようになりました。この呼称については、その導入当初から、個人的に強い違和感を感じていました。本来患者さんと医療機関スタッフは、上からでも下からでもなく、対等な目線で率直に意見を交換し合えるような環境整備が大切であると常日頃考えていたからです。しかし残念ながらこれまで医療の現場では、病気を抱え弱い立場にある患者さんに対して上から目線で接する、不心得な病院スタッフが時折見受けられました。これに対し、様々な形でバッシングを受けた医療機関側が、銀行やエステティックサロンの如く、突如として「患者様」という呼称を採用し、スタッフの接遇教育を始めたものと思われます。接遇教育自体は必要であり、これを否定するものではありませんが、あまりにも下から目線で患者さんを持ち上げ過ぎた結果、患者さんは「お客様」になってしまい、一部でモンスターペイシェントを誕生させる事に繋がってしまったような気がします。あくまでも同一目線で、率直に情報交換ができるような関係の構築が重要であり、その結果、正確な診断、的確な治療へと進むものであると私は確信しています。わたなべ整形外科では平成元年の開院以来、思いっきりの「笑顔」で患者さんをお迎えし、スタッフ一同、心からの「親切」な対応をして、一日も早い症状の改善を目指し、その結果患者さんとスタッフとの間に確固たる「信頼」関係が構築できることを願って、「笑顔」「親切」「信頼」のモットーを掲げてやってまいりました。当院ではこれからも「患者さん」のことを「患者様」とはお呼びしません。しかし、日本中のどこの病院よりも、スタッフと気さくに話ができ、どこの病院よりも大切にしてもらっていると感じていただけるような対応を目指します。

お茶の水女子大学理学部教授、数学者で、NHK教育TV人間大学で「天才の光と陰」を講演しておりました藤原正彦先生の教育論を産経新聞「正論」で見つけました。現代の日本の教育の問題に鋭い視点で切り込んだ論文です。 現代日本の教育の問題点は「我慢力不足」、「個性尊重」=「子供への恐るべき甘やかし」と論破する。

「まずは我慢力を身につけることだ」「理数離れ」が頭痛の種

産経新聞 「正論」 平成14年5月27日

 先日、英国の古い友人が我が家を訪れた。私がケンブリッジ大学にいた頃、教えていたコレッジの学長をしていた彼は、今は上院議員として国の科学技術政策を担う立場にある。夕食前の一刻、教育論に花が咲いた。彼の頭痛の種は、子ども達の理数離れである。

 彼は私に「原因はいろいろ言われているが、真の原因は何と思うか」と聞いた。私は間髪を入れず「我慢力不足」と答えた。彼は不意打ちをくらったのか、身じろぎもせず黙りこむと、しばらくして生気を取り戻したように大きくうなずいた。理数離れの原因については、我が国でも「考える力を育てず知識を詰め込み過ぎる」「時間数不足もあり面白味が伝えられていない」「教師の力量不足」 「科学に無関心な大人達の影響」などいろいろ挙げられている。どれも正鵠を射ているように私は思えない。

 理数系は、国語や社会のように寝転がっては学べない。机に向かいじっくり取り組むという面倒に耐えねばならない。それに問題はすぐに解けない。数学の問題などは、何時間いや何日も考えないと解けないことがいくらもある。解けないのは不快であり、それに耐えて考え続けなければならない。十秒考えて放り出していてはいつまでたっても実力はつかない。

「我慢を強いられた時代」

 現代は我慢力を培うのが難しい時代である。我が国には真の貧困が、有史以来40年ほど前まで存在した。真の貧困とはいくら働いても食べて行けない、という意味である。そのような社会において、子ども達は、おやつが欲しくても、時には御飯が欲しくても、我慢を強いられる。そのうえ両親は家族を生かせるために必死だから、子どもにも相応の仕事が割り当てられる。私の場合は雨戸の開閉、使い走り、風呂の水くみや風呂炊きなどだった。私が夏ごとに帰省した信州の農家の子ども達は、野良仕事にかりだされたり、田の水の調節や家畜の餌をまかされたりしていた。

 文明の発達した今日の豊かな社会で、子ども達は欲しいものをふんだんに与えられ、働かされることもめっきり減った。英国でも全く同様と友人は言う。我慢力がつかないはずである。

 我慢力不足は読書離れの原因である。テレビやマンガなどの映像に比べ、一つずつ活字を追う作業は、我慢力を要するからである。読書離れは理数離れよりさらに重大と言ってよい。理数離れは将来における科学技術力の低下、ひいては経済の退潮を意味するが、読書離れは、国民の知力崩穣を惹起し、国家の確実な衰退を意味するからである。

「子どもへの恐るべき甘やかし」

 豊かな時代だからこそ、親や教師は、我慢力養成のため子どもに厳しく当らねばならぬのに、今や子どもと友達関係になり果て、甘やかし放題である。教師は指導者でなく子どもの学習の支援者ということになっている。文科省のある委員会で私が「漢字や九九は厳しく叩きこむべし」と述べたら、ある教育学者に「それでは子どもが傷つく恐れがある」と反論された。高校生を対象とした国際調査でも、「親や先生に反抗してもよい」と「教室を授業中に出ていってもよい」を肯定する生徒の割合は、日本がきわ立って高い。

 この恐るべき甘やかしが、親や教師の不見識というより、流行の教育理論に支えられている所に現代日本の病根がある。この理論の根底にあるのが「個性の尊重」である。これがあるから「宿題は嫌い」「テレビ漬けやゲーム清け」「勉強も仕事もせずに気ままに生きたい」「野菜は苦手」はみな個性として大目に見られる。「ゆとり数育」も勉強をしたくない子どもの個性を尊重するがゆえの産物である。単なる甘やかしが「個性の尊重」という美しい言葉の魔力により、子どもへの「理解ある態度」と変貌するのである。

 ピアノが上手い、足が速い、数学ができる、といったよい個性を伸ばすのは当然であり、あらためて言うに及ばない。子どもの個性のほとんどは悪い個性であり、それを小学生くらいまでのうちに正すのがしっけであり教育である。この厳しい過程の中で、子どもは傷つくことをくり返しながら我慢力を身につける。家庭教育と学校教育は、機を見て個性を踏みにじることから始まる。

 文部科学省、教育学著、そして誰より国民が、「個性の尊重」などという美辞に酔いしれている限り、この国の将来は覚束ない。「個性尊重」という美辞に酔うなかれ

お茶の水女子大学教授 藤原 正彦(ふじわら まさひこ)
1943(昭和18)年、旧満州新京生まれ。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。お茶の水女子大学理学部教授。1978年、数学者の視点から眺めた清新なアメリカ留学記「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞、抱く持の随筆スタイルを確立する。著書に「遙かなるケンブリッジ」、「数学者の休憩時間」、「心は孤独な数学者」、そして「父の威厳 数学者の意地」--この本を読めば勇気百倍! これぞ家庭教育の指南書--(新潮文庫)がおもしろい。故新田次郎と藤原ていの次男。

2011年04月12日

官僚天国な社会保険庁

まぁ社会保険庁も国民をよくぞこれだけ舐めた事が出来るなってぐらい官僚天国ですね!

社会保険庁本庁所有の公用車2台(180億円)(書き間違えではない)
社会保険庁公用車247台(4億円)
職員の外国出張費(1億6500万円)
千葉の社会保険大学校内にあるゴルフ練習場の建設・維持費(1200万円)
ゴルフクラブの購入費(20本、6万6000円)
ゴルフボールの購入費(700個、1万8000円))
校内のテニスコートや体育館の維持費(計409万円)
東京の社会保険業務センター内のテニスコート建設費(422万円)
バスケットコート建設費(354万円)
全国の社会保険事務所に導入した利用ゼロの印刷機(921台、1億5030万円)
社会保険庁の年金広報費(10億600万円)
年金資金運用基金への支出、交付金(計3兆3600億円)
グリーンピア建設費と借入金利息・管理費(3800億円)
年金福祉施設や老人ホームの建設・維持費(1兆5700億円)
住宅融資事業費(9300億円)
年金資金運用基金へグリーンピア建設や住宅融資資金の名目で出資金(1兆800億円)
職員の事務費充当(5300億円)
職員の健康診断費(3億7000万円)
勤労者福祉施設維持費(100億円)
社会保険庁が新築した職員宿舎(10億円) ※家賃は東京都心3DKで2万円
年金関連施設の職員向け宿舎(28億800万円) ※家賃は東京新宿区3LDKで月6万956円
社保庁職員宿舎の整備・維持費(42億円)
社会保険庁長官の交際費(250万円)
社保長官香典費(1年につき28~50万円)
社保庁職員の交通事故賠償金(15件、1800万円)
保養基地運営法人への支出(2兆円、総額5兆6000億円の使途判明)
年金資金運用基金や厚生年金事業振興団総裁の退職金(各4000万円)
厚生年金病院の建設費(全国68カ所、112億1900万円)
福祉施設の建設費(169カ所、92億1400万円)
大規模年金保養基地(グリーンピア)の職員向け宿舎建設費(15億2600万円)、
年金資金運用基金(旧・年金福祉事業団)の職員向け宿舎建設費(2億6500万円)
社会保険庁職員用のマッサージ器(6070万円、計395台)
2004.7.13.

「フランスの医療・醫學パート1」

フランスの医師の平均収入は、一般医700万円、専門医900万円で、決して医師にとっていい制度ではないかもしれません。でも、医学教育が安いので問題ないのかもしれません。

専門医はずっと専門医

フランスの医学部はすべて国立であり、授業料もほとんど無料である。卒業時の成績で上位半分は専門医教育に進み、それ以外は一般医教育に進む。専門医は専門以外の医療行為はせず、一般医はちゃんと一般医として働くための3年間の教育を受ける。開業医の患者でも検査の処方箋を持って独立の検査施設や大病院の検査部にいき、結果を持って再度主治医の診察を受けるという制度である。無理な設備投資をせずに専門医として開業ができるため、選ばれたものが受けた教育が無駄にならない。一般医も3年間で開業しても困らない知識を身につけられるように研修を受け、何となくだらだらと後輩が教授選に勝って居心地が悪くなるまで大学病院にいると言うこともなく、即戦力として早くから社会に出て行くことになる。専門医開業医が多いため、一般医も無理せずに専門医と協力しながら患者の診療に当たれる。とはいえ、一般医は地域ごとの当番制で当直をとらなくてはならず体力的にも大変で、数年前はインフルエンザワクチンの型がはずれて大流行しているさなかにストを決行した。

「パート2」

欲しいものだけ買う処方箋

医師の収入は原則診察料だけである。完全医薬分業であり、患者は自宅の近くの薬局で処方箋薬を買うので、使用可能な薬の中で一番良いものを常に選択することが可能で、在庫がどうこうなどと余計な心配をする必要がない。自然と最低限の処方となる。5種類の薬を処方されて薬局に行ったら、どの薬を買うかと聞かれ、日本人としては新鮮な経験ができたという例もある。患者も自宅に余っている薬が処方されれば、薬局で必要なもののみを購入することも可能なのである。

どこまでも情報開示!!

検査における情報開示も完璧である。レントゲン写真は放射線科医の所見と一緒にその場で患者に渡され、それを持って検査をオ-ダ-した医師の再診を受ける。血液検査もちゃんと患者さんの自宅にすべての結果が郵送される。検査結果をすべて自分で管理するため、主治医には内緒でセカンドオピニオンを聴きに行くことも簡単で、これは逆に医師一人一人がいい加減なことが言えないという厳しい状況も作り出している。一方、患者さんに渡されるCTの所見に癌の転移が肝臓にありますなどとかかれている事もあり、ちょっと恐ろしい制度ではある。

世界最速のドクタ-カ-?

救急医療もすばらしい。軽い患者の場合、地域の当番である一般開業医がたたき起こされ往診に出かける。この制度のため、専門医教育に入れる上位50%が一般医を選択することがほとんどないのではないかと推測する。離婚して小さい子供を引き取っている女医となると例外的に夜間の往診業務からはずされるが、これがフランス人医師の離婚率の上昇に寄与しているかどうかは定かではない。少し重い患者には、簡単な救急医療の研修を受けたSOS医師というのが往診することになる。彼らはシフト制で働いており往診専門である。オフィスを借りる必要も受付事務員もいらない究極の省エネ開業である。これよりも重症と言うことになると救急指定病院からの救急車が向かう。さらにすごいのが、今にも心肺蘇生が必要という緊急なケ-スでは、スポ-ツカ-に運転手、救急専門医、研修医の3人が乗り込み高速道路を突っ走り、その後を集中治療室と同じ設備を整えたドクタ-カ-(実際は帰りのみドクタ-カ-)が追いかけ、先についたチ-ムが蘇生を始め一段落したところで到着するという制度である。喘息患者の死亡率が日本の半分というのもうなずける。フランスは官僚が超エリ-トでしっかりしており、システムの構築がすばらしいと言われるが、問題はそのシステムの下で働く層がお気楽なことで、救急車に電話をかけても15分以上誰も出なかったというのもそう珍しいことではないと聞く。いい加減がよい加減という国でもある。

「パート3」

おしゃれな当直医

パリでは公立の救急車は指定されている6つの公立総合病院にしか患者を搬送しな
い。患者を集中させることで、昼間働いている医師が夜中に起こされて時々来る患者を診るというような必要もなく、常勤のシフト制で働く髪の毛のたっていない医師に対応してもらえる。また、バイトの研修医が一人で診るということもない。
勿論、私立病院にかかっている患者さんは契約のある私立救急車に電話すれば希望の病院で診療が受けられる。

「パート4」

「選択の自由は誰のため」

 自由診療も広く認められている。医師はセクタ-1,セクタ-2、非提携医に分かれる。公立病院はすべてセクタ-1で、開業医の大多数もセクタ-1である。彼らの外来診察料は一般医2500円、専門医3000円などのように、どのような患者でも原則定額明瞭会計である。何をやっても同じ値段である。医師にかかる前から値段は決まっており、多くの開業医はひとりで働いているので(受付も看護婦もなし)処方箋と一緒に領収書を渡し料金を受け取っておわりである。確かに時間のかかる患者さんもいるが、規定の診察料をもらうほどではない患者さんもいるので全体で見れば納得のいく料金体系と考えられているようだ。システムはシンプルなのがいいという例かもしれない。自己負担は3割ほどになるが、これも多くは普及した2次保険でカバ-される。日本でも大企業が自己負担分を返還したり、組合提携の病院にかかれば無料になるのににているが、より一般的になっている。セクタ-2の医師には研修を通常の医師より多くした場合のみなれるが、この制度はほぼ廃止の方向に進んでいるので新規のセクタ-2には通常なれない。彼らは自由に外来診察料を設定でき、保険診療の2-3倍程度を請求することが多い。この場合、公的保険からの返還はセクタ-1の医師にかかった場合と同額であるので、自己負担分がかなり増える。しかし、通常の2次保険に入っていれば公的保険のカバ-分の3-4倍の返還が受けられるので、それほど自己負担は多くはならない。非提携医も自由に診察料を設定できるが、公的保険からの返還は50円ほどで、請求の切手代がやっとである。典型的な2次保険でも200円ほどしか戻って来ないので封筒代は赤字覚悟となる。よって、経済的に余裕のある患者さんのみがかかることになる。ここで重要なことはすべての公立病院、大学病院がセクタ-1と言うことで、つまり、診察費の高い医師にかかるほうが待合室もきれいで待ち時間も短く、より丁寧に接してくれるかもしれないが、公立保険だけでも大学病院で必要な医療が必要なときにちゃんと受けられる基盤がしっかりしている。飛行機でファ-ストクラス、ビジネスクラス、エコノミ-クラスの選択権が与えられているのに似ており、医療に多くの費用を支払えばより快適なサ-ビスが得られるが、エコノミ-クラスでも出発時間も到着時間も変わらず、緊急時の対応にも差別はない。アメリカのようにお金がないからといっておいていかれたり、無理な平等が建前のためル-ルを破りの袖の下が慣例となってしまうということもない。余裕のある層が公的保険の予算を使わないおかげで、一般の人がより低費用で医療を受けられるという見方は大変ポジティブである。

「パート5」

「難病だけでない特定疾患」

 社会主義の国であるので、自己負担分にも大きな工夫がされている。必要以上に医師にかりすぎる患者に歯止めをかけるように、通常は自己負担がもうけられているが、必要性が明らかな医療行為に関してはセクタ-1で医療を受ける限り公的保険を持っていれば全額無料となる。虫垂炎の手術、糖尿病の定期的外来受診、予防接種、妊娠出産などの様に数が大変多い疾患でも、臓器移植などの1例ずつに高額な費用のかかる場合でも対象となる限りなく理想を追い続けた制度である。最低限の医療は国が責任を持って保証するという気概が感じられる。

「パート6」

「この薬本当に必要ですか?」

 逆に無駄な医療に関しては厳しく、必要以上に患者を再診に来させたと見なされた医師には、年度末に料金の返還が言い渡される。薬品に関しても、製薬会社の責任でそれぞれの薬品の現在のレベルでの効果がきちんと示されたデ-タ、論文を政府に提出することが義務づけられ、効果の証明できなかった15%ほどの薬は保険がきかなくなるとされている。効果のないと薄々わかっている薬や他国では認可されないような薬に莫大な医療費を使いすぎる悪行は続かない。日本で在庫がなくなった抗インフルエンザ薬も、症状は軽く短くなるが生命予後に影響を与えるという証拠はないため100%自己負担となり、仕入れても売れないため薬局に置いていないという日本とは違う理由で入手が困難であったが、薬の値段自体が他の先進国と比べ低く抑えられているため、決して手が届かない値段にはなっていなかった。

「パート7」

「政府の強いるIT化」

 IT化も進んでいる。数年前から政府が推し進めて現在のところ公立病院には広く普及したICカ-ドがある。国民全員に医療用ICカ-ドが配られ、医療機関でそれを機械に差し込めば患者の病歴、処方された薬などがわかるようになっており、また処方箋もカ-ドに入力するため紙は必要なく、支払いも公的保険でカバ-される分は自動的に請求されるため手間も省けるという画期的な制度である。数年前に医師がコンピュ-タ-を購入する際に、50%は国から補助が受けられるという期間があったが、最近その補助を受けた医師全員にこのICカ-ド対応の機械導入が義務づけられた。新制度普及のために練りに練っていた力業である。開業医が助かるのは年度末に郵便番号ごとに住んでいる患者を何人診察し合計いくら請求したかが表になって送られ来ることである。これを税金申告に付けて送ることになるので明朗会計で事務負担も大変軽くなる。多くの開業医はひとりで頑張っているので大変助かる。公的保険の全くきかない完全保険外診療の多い獣医の方が人気が高く、医学部入学よりも遙かに難しいというのはGDP比で日本の2倍の税金を取るフランスならではかもしれない。軽い病気のときは病院に行くが、重いときにはまず獣医さんに見てもらうのが上流階級では通例になっているというのは滑稽な作り話だが、重症の患者がいると”兄貴が獣医をしているからちょっと電話して聞いてみる”という神経内科医がいて、みんなに頼りにされているというのは笑えないジョークである。しかしながら、イギリスほど狂牛病が蔓延しなかった実力はさすがである。

「パート8」
「それでもやっぱり日本が一番」

患者にも医師にも選択肢があり、それぞれにちゃんと行きすぎがないかのチェック機構が存在する。弱者を切り捨てることなく、弱者を支えるための強者にもインセンティブをもうけている。なかなか立派な国である。ところでWHOは、以下の指標から、191カ国の順位をつけました。

(1)健康寿命:平均してどの年齢まで健康に暮らしていけるか
(2)健康寿命の地域格差
(3)患者の自主決定権や治療への満足度などの達成具合
(4)地域や人種などによる患者対応の差別の程度
(5)医療費負担の公平性

 その結果、日本は、これらの指標すべてが10位以内に入り、総合評価では、世界で一位という結果でした。2位以下はスイス、ノルウェー、スウェーデン、ルクセンブルク、フランスとヨーロッパ諸国が続き、アメリカは15位でした。とはいえ、理想の結婚相手の国籍はという統計で日本人の女性が1位で日本人男性はエジプトに次で43位という統計もあり、国際的順位づけというのは理解しがたいことも多いが、女性に限れば“やっぱり日本が一番”優秀である。

  様々な誤解があるようですので、ここに当院の送迎バス導入に関する事実関係を記載したいと思います。そもそも来院患者さんの為に、無料の送迎バスを運行しようと発案したのは、平成元年10月の当院開業の1年位前だったと記憶しています。当時の私は新規開業に向け、期待と不安の入り混じる中、これまでの勤務医時代に蓄えた様々な知識や経験の整理、そして勤務医時代には成し得なかった新システムの導入に向けて、希望に燃える日々を送っておりました。常に患者さんの視点から発想し、「こんな病院あったらいいな」をテーマとして掲げ、志を同じくする仲間達と定期的に会合を重ね、熱き思いをぶつけ合う中で、無料送迎バスの提案もありました。自分で通院する手段を持たず、家族のサポートもまま成らぬお年寄りに対し、救いの手を差し伸べるという発想はとても自然であり、困っている人を助けるという、医療の原点に立ち戻るものと感じました。また整形外科診療の特殊性を考えると、リハビリ治療も含め、最低でも週に2回程度の通院を要する事や、膝や腰その他、身体各所に疼痛を抱える患者さんに対して、バスによる送迎サービスの問題は自然な流れの中から生れて来たものでした。

  この一連の経過の中で、足利市医師会への入会申請の際、バスによる送迎サービスのプランをお伝えした所、それは他の会員の迷惑になるので、医師会としては認めるわけにはいかないと言う、見解をいただきました。まったくの新規開業であり,相談する相手もない自分としては、不本意ながらこのアドバイスに従い、送迎バスのプランは諦めて開業することにしました。しかしながらそれから数年後、島田町で新規開業された「みくりや整形外科」さんでは、なんと開業と同時に送迎バスサービスを始めたのです。これには私もいささか釈然としないものを感じましたが、当院外来への影響も無い事から、とりあえず静観を決め込む事に致しました。ところがまもなく、当院通院中の患者さんから、送迎バスの話題が、診察の際に持ち出されるようになって来ました。最初は医師会の意向に背いてまで行動するのは如何なものかと、適当に言い訳をしてごまかしていたのですが、毎日毎日10数人規模で訴えられ、その後、送迎バスを始めてくれるようにとのラブコールに発展するに連れ、とても自分1人では抑えきれない状況となってきました。そこで思い余って知り合いの医師会理事に電話をし、理事会で送迎バスの問題を議題として提出し、これに関する足利市医師会の公式見解を出してくれるようにお願いしました。もしOKなのであれば、当院としては直ちにその導入に向けて動き出すし、NOと言う事であれば、医師会として何らかのアクションを起こして欲しいとの旨お伝えしたわけです。その後の詳しい経緯は分りませんが、いずれにせよそれからまもなくして、足利市医師会長の名前で、市内のすべての医師会員に宛てた文書が配布されました。その内容は、「足利市内の生活路線バスが次々に廃止され、通院に不便を感じていらっしゃる患者さんの為、無料の送迎バスを巡回させる事は悪い事ではない。但し競合する医療機関の前で、患者さんを乗降させることは慎むべきである。」といったようなものだったと記憶しております。文書入手後、医師会事務局に電話で問い合わせた所、やはり文面の通りであり、バスによる送迎は問題ないと言うことでした。これを受けて当院では直ちにプロジェクトチームを立ち上げ、平成9年11月の1ヶ月間をかけ、来院しているすべての患者さんを対象に、アンケート調査を行いました。そして両毛タクシーさんの協力も得て、送迎を希望するすべての患者さんを網羅する形でバスの走行路線図を作成し,停車する時間、場所など、何回も試験走行を繰り返しながら徐々に詰めて行きました。また地区別に、バスによる送迎を希望する患者さんの名簿を作成し、バスの送迎時刻に変更が生じた時には、送迎の前日ないし早朝に、一軒一軒電話連絡をするなど、極めて根気の要る作業の連続でした。このような状況の中で何とかスタートを切った送迎サービスですが、やはり予想通り、外来の来院患者総数は送迎スタート前と殆んど変わらないというものでした。これまでタクシーや家族に依存していた方が、送迎バスを利用して、お金の心配をする事も、家族に気兼ねする事もなく来院できるようになったものと解釈しております。現在当院1日外来総数の5%前後の方が、送迎バスを利用して来院なさっていますが、経営的には全くの不採算部門です。このサービスを続けている理由は唯一つ、患者さんから寄せられる、心のこもった数多くの感謝の言葉があるからです。以前、足利日赤前院長の小野康平先生から「医の奉仕」という著書をいただきましたが、社会的弱者の立場にある方に、多少でもご奉仕できる事があれば医師としてこの上ない幸せと考えております。

  平成16年8月の足医月報、第491号において、「送迎バスサービスは患者集めを目的とした行為でもあり、不当な競争が惹起される恐れや医療コストを押し上げることとなり、法的に問題ないとは言え、控えるべきとの意見が多かった。」という理事会報告の記載がありました。私は送迎バスサービスを中止する事は、それが足利市医師会の強い要望ということであれば、従うつもりでおります。しかし問題があります。それは、こういう類のサービスは、始めるのは簡単ですが、中止するのがとても難しく、送迎バスをあてにしている患者さんの理解が、はたして得られるかという事です。恐らくパニックに近い大混乱が発生し、最悪の場合、足利市議会やマスコミで大きな社会問題として取り上げられる可能性があります。現在私が考えているソフトランディングの方法としては、足利市に依頼して、代替輸送手段として、「メディカル・シャトルバス・サービス」のようなものを立ち上げてもらい、医師会としてもこの事業に多少のサポートを行い、またこのサービスを利用する医療機関は、その利用頻度に応じて負担をするといった内容です。

  様々な議論のある所かと思いますが、当院としては医師会の意向を無視して勝手な行動をしているという認識は全くありません。むしろ朝令暮改の如き印象を受けかねない、今回のような問題提起に当惑しているというのが率直な感想です。

皆様すでにご存じかと思いますが、私が最近、感銘を受けた文章を紹介させていただきます。

卒業式を中止した立教新座高校3年生へ。
(校長からのメッセージ)  2011.03.17
 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ。」
 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
 一言付言する。
 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
  梅花春雨に涙す2011年弥生15日。      立教新座中学・高等学校校長 渡辺憲司

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