上杉鷹山に学ぶ
今を生きる我々日本人にとって、何よりも大切なことは諸外国の事例にばかり学ぼうとする姿勢を改め、自分自身の歴史に学ぶことである。
日本の歴史の誇るべきところは西洋が戦争と殺戮に明け暮れて、人間不信に基づく文化を発展させた近世に、人間の信頼と友愛に基づく文化を発展させたところにある。西洋の文化はいわばカギの文化である。不心得者がいても物が盗まれないように、というのが西洋式である。日本の文化はこれに対して障子の文化である。障子やふすまにカギをかけることはできない。不心得者がいなくなるように教育するのが日本式である。
戦後、せっせとアメリカの文化と法制度を移植し、必死に働いて物質的に豊かになったが、日本人は幸せになったろうか?
現代人は米沢15万石の領主であった上杉鷹山が生涯一度も口にしたことのないような世界の珍味を毎日のように食べながら、なお、グルメ情報に食欲をかきたてられ、肥満と生活習慣病におびえつつ暮らしている。
かつて高嶺の花と思えたカラーテレビや、冷蔵庫、乗用車までがほとんどの家庭に行きわたり、鷹山が見たらその豊かさと便利さに目を回すであろう。しかし、私たちは15万石の領主が驚くばかりの暮らしをして、なお満たされることがない。
私たちが目にし、耳に聞き、あるいは感ずるすべてのものが私たちに何かを売りつけようとする努力を表すものである。われわれの意識の中に入り込むために、広告は絶えずショックを与え、いらいらさせ、さもなければ昔中国で行われたという水滴をたらす拷問のようなやり方で、つまりたえず反復を加えることで物欲をかきたてようとする。
飢餓にさいなまれる国民が死刑になる危険を冒して畑の大根1本を盗む北朝鮮と、くまなくビデオカメラで監視されたコンビニで万引きや強盗が起こるのが日常茶飯事となってしまった飽食の日本と、棒杭の無人販売が可能であった社会と、どの道を歩むべきか、明らかではなかろうか。
今や、日本には民主主義のための法制度は十分に整った。今こそ、人間を尊重する精神と、自己と同様に他人の自由を重んずる気持ちと、好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度を持つ国民を育成しようではないか。
2004.1.31.