Private Life

2017年09月14日

有言実行

私は毎晩4kmのスロージョギング。腕立て伏せ50回を2セット。腹筋40回を2セット。この間にストレッチマシンで全身のストレッチを挟み込み、最後の仕上げはV-BALANCE10分間の3Dバイブ運動。飲み会の後も、時間の許す限り(030A.M.まで)、就寝前に筋肉を思いっきりイジメ、大汗をかき、シャワーを浴び、この直後に爆睡し、就寝中に筋肉から放出された乳酸が成長ホルモンの分泌を促すことを夢見ながらの毎日です。

私は仲間や患者さんから、あなたの健康維持の方法は?と問われた時、このエクササイズについて伝え、合わせてサプリメントの服用についてもお話します。

学生時代からそうでしたが、私は何か思いつくと周りのみんなに公言してしまい、そうすることで自ら退路を断ち、腹を決め実現する方向でコツコツ努力し、結果、ある程度のレベルにまで到達するという生き方をして来ました。はっきりとした言葉で自らの考えを伝え、真正面からアイコンタクトを取りながら様々なテーマについて議論を交わし、論破し論破されながらバランスの取れた教養人を目指すという生き方が私は好きです。

私は、たまたま医師という職業を選択し、更には院長として仕事をしているという幸運にも助けられ、組織の中での不合理を飲み込み、プライドを捨てて頭を下げたり、誰かに媚びたりする必要もなく、割とストレートに、ある種の正義感を持って、社会派のドクターとして、自分の考えを表明することが出来る立場にあります。常に周囲の人に自分の夢や将来のプランを語り、日々努力する。そうしてアドバルーンを揚げ続けていると、その実現のために周りから貴重な情報提供や様々なサポートが舞い込むラッキーもあります。

いつも胸の奥深くにしまって置かないで、もっと自分のプランを公開しましょう。人生は本当にあっという間に過ぎ去ります。会いたい人があるなら会う、やりたいことがあるなら全てやる、という気持ちでいないと、残るのは後悔ばかりだと思います。

たった一人しかない自分を、たった一度しかない一生を、

 本当に生かさなかったら、人間生まれてきた甲斐がないじゃないか

「路傍の石」このフレーズは何度聞いても新鮮に、胸に刺さります。

                               2017.9.14

2017年01月16日

ピロリ菌

つい先日、我が人生で2回目の胃内視鏡検査を受けて来ました。20年近く前、ワインパーティーで飲み過ぎた翌日から発症した、コントロール不能な胃の激痛に耐えかね、近くの消化器内科で受けて以来の検査です。

30年来の花粉症により肥厚した下鼻甲介と37年前御前崎灯台近くでクラッシュして以来の鼻中隔湾曲症という悪条件のため、鼻腔からの侵入を断念し口からファイバースコープを飲み込むことになりました。嚥下反射の強い私としてはちょっと辛いチャレンジでしたが、私が最も信頼し、本人も「足利ではおそらく俺が一番上手」と言い切る同級生外科医の高度なスキルにも助けられ、何とかこの苦行を無難にこなすことが出来ました。

結果は幸い良好で悪性所見は確認されず、検査が終わってから何だか新しい命を与えられ、もう少し生きていてもいいぞという生存許可証を与えられた様な、妙な高揚感を感じています。この一連の検査の際、ベテランと思しき看護婦さんがそっと私の背中をさすってくれていたのですが、嘔吐反射で辛い状況の中、何だかとても勇気付けられ救われた様な気がしました。改めて医療チームとしての看護婦さんの存在の大きさを痛感させられた時間でした。

さて昨年の秋、ピロリ菌検査で陽性判定、その後除菌そして胃内視鏡検査と一連の流れを経験した訳ですが、今更ながらに「医者の不養生」という言葉が自分の頭の中で渦巻いています。最近ではピロリ菌に関する研究が進むに連れ、これをきちんと除菌することにより胃がんの発症リスクが激減すると言われており、何故もっと早くこの一連の検査を受けなかったのか自分的に不思議です。また、一度除菌に成功するとその再発率は2%以下と言われており、まだピロリ菌の検査を受けていない方は出来るだけ早い時期に受診することをお勧めします。現在ピロリ菌の検査には、胃カメラで直接胃粘膜から採取する方法、血液、尿、便による検査、そして今回私が受けた尿素呼気検査などがありますが、私としては呼気検査が総合評価で一押しです。またピロリ菌が見つかった場合の除菌方法も大分進歩しており、1週間分の内服セットが用意されています。「早期発見、早期治療」言葉にすると簡単ですが実際に行動に移す方は少ないのが現状です。しかし呼気検査であれば極めて簡単ですので皆さん是非受けてみてはいかがでしょうか。

2016年01月08日

本を出版するという事

先日、東京の有名な出版社から突然連絡があり、編集者と当院で面会する機会がありました。訪問の目的は、私の「わたなべ整形外科院長ブログ」を一冊の本にまとめて出版しませんかという事でした。私には前々からその予定があったので、渡りに船と彼らの提案を最後まで聞くことになりました。最後に出版に当たっての費用や実例集などの資料をいただき、後日こちらから連絡しますという事でお開きになりました。

金額はどの程度が妥当なのか、皆目見当が付かなかったので知り合いに相談してみると、大体半額位で栃木県内の新聞社から出版したという方がいらっしゃいました。またもう既に何冊か自分の著作のある従兄に電話した所、「え~、邦夫ちゃんお金払って本出すの?俺お金もらって本出した経験しかないからアドバイスは出来ないよ、ごめんね。」とつれない返事でした。

ここで改めて出版社のスタッフのセールストークを思い起こしてみた所、段々と冷静に今回の一連のエピソードを検証することが出来ました。別に彼らは私のブログの内容に感銘を受けたわけではなく、病院の院長や会社の社長、政治家、僧侶その他ある程度の財力があり社会的な地位もある一群にターゲットを絞り込み、ある時はゴーストライターとして本を出版させ、その功名心を満たし、あわよくば組織に何らかの利益をもたらす手段として本を活用しては如何でしょうかという提案を携え、自分の出版社の営業活動の一環として東京から出張して来たという事のようでした。

以前から時々、院長ブログをA4のクリアファイルごとプレゼントするという場面がありましたが、これはよく考えてみると結構厄介な贈り物で、何しろかさ張り、置く場所に困るだろうなと最近反省しきりです。捨てるわけにもいかずそうかといって何回も読み返すほどの物でもないしで、受け取った方はさぞかし難渋しているのではとお察しします。

そんな訳で、コンパクトな1冊の本にまとめた方がご迷惑をお掛けしないだろうという事で出版を思い立ったわけですが、自分には特に功名心もないし営業用に使う予定もないので、余り高額な出費は本来の趣旨から逸脱し、出版社を儲けさせるだけだろうと考えています。インターネットの進歩に伴い本を読む人が減っている中、あえて活字で印刷された本を出版する意味をしっかりと自分なりに確認しながら、その作成に向け出来るだけコストパフォーマンスの良い出版社をこれから地道に探してみようかと考えています。        2016.1.8

2015年09月30日

こんな人になりたい

洗練された人、行動がスマートな人、物腰が上品な人、オシャレな人、スタイルのいい人、服装のセンスのいい人、歩き方がかっこいい人、流暢な・美しい日本語が話せる人、姿勢のいい人、笑顔がステキな人、上品に日焼けしている人、ユーモアのセンスがある人、知識が豊富で話し上手な人、一緒にいて楽しい人、一緒にいると元気にさせてくれる人、一緒にいると癒される人、正義感の強い人、不正を憎み戦う勇気を持っている人、自分よりも立場の弱い人に対してもやさしく同じ目線で接する人、誰に対しても決して媚びない人、誰に対しても親切で平等に振る舞う人、真実を探求する強い意志を持った人、初心を忘れず決してぶれない人、常に謙虚な人、いつも胸を張って行動している人、大きな仕事を成し遂げても自分は運が良かっただけと言い本当にそう思っている人、高齢者を敬い感謝し心からのサポートを惜しまない人、メンタル面でのコントローが上手でいつも上機嫌な人、子供に好かれる人、いろいろな意味で頼りにされる人、レストランに行くとたった一回で常連並みの対応をしてもらえるようになってしまう人、ワインを選ぶ時ソムリエのうんちくに惑わされず自分なりの基準を持っている人、美味しい料理をリーズナブルに提供してくれる店を様々なジャンルに亘り知っている人、自分に似合う服が揃っている店を知っている人、様々なジャンルの音楽を愛し自分のお気に入りがいつでも引き出せる人、スポーツを愛し定期的にエクササイズをしている人、酒の飲み方を知っており陽気な酒飲みである人、年齢・性別・国籍を問わず愛される人、英語が普通に話せて海外でも不自由しない人、日本の国を愛し日本人であることに誇りを持っている人、自分はnationalistではなくpatriotだと固く信じている人、一通りのダンスが出来る人、パーティーを主催しゲストが楽しむ姿を見て幸せを感じる人、既成概念に囚われず常に柔軟な発想で物事を処理する人、既得権益にしがみつき努力しない人が大嫌いな人、同業者目線ではなく常に患者さん目線で行動する人、世話焼きで面倒見がいい人、スタッフから尊敬される存在になることを目指している人、自分にコミットするすべての人が幸せになることを常に願い行動している人、患者さんを整形外科領域からだけでなく常にトータルに診ることを心掛けている人、外国人に対するコンプレックス・差別・偏見がなく自然体で付き合える人、太陽の光を浴びると全身にエネルギーが満たされると感じている人、汗を流しシャワーを浴びビールを飲むのが好きな人、遊びでも仕事でも常に全力投球な人、アイディアが豊富でそれを形にすることが得意な人、気配り・心配りの出来る人、バランス感覚の優れた人、時代の流れを読む先見性に優れた人、様々なジャンルの専門家と交流があり互いにリスペクトし合っている人、emergencyに対する対応能力に優れた人、追い詰められれば追い詰められるほどパワー充満し普段以上の強烈な力を発揮する(逆境に強い)人、いざという時頼りになる人、男性からも女性からも人気がある人、新しい勤務先で一番最初に仲良くなるのはお掃除のおばちゃん達という人、群れて傷を舐め合うのが嫌いな人、狡い人卑怯な人を極度に嫌う人、肩書や名誉を求めずそれに無頓着な人、精神的にも肉体的にも極めてタフな人、常に自分より凄い人尊敬できる人を知っていてその人に少しでも追い付こうと努力している人、情報収集のアンテナが高く常にUpdateで正確な情報をバランスよく入手している人、知識人ではなく教養人を目指している人、たった一度しかない一生を大切に生きようといつも心に誓っている人、そんな人になりたい。

2015年05月24日

スマホの功罪

私はスマートフォン(スマホ)を持っていません。その代りガラパゴス携帯とiPad Air 2を常時持ち歩き、院長室にはちょっと大容量のデスクトップ型パソコンを設置し、用途に応じてこれらを使い分け、別に何の不自由も感ぜず快適なSNSライフを満喫しています。今の世の中ともすればガラパゴス携帯は新しい物に適応できない年寄りの持ち物であるかのような偏見を持つ向きもあるようですが、これは勘違いも甚だしいと考えております。

こんな中、ここ数年来スマホの爆発的な性能の向上、普及と共にその様々な弊害が叫ばれるようになって来ました。
整形外科医の立場から言わせてもらうと、あんな小さな画面を長時間にわたって凝視し、指先で画面をタッチする操作は頸椎の変形をもたらし、肩こりや手のシビレ、視力低下などを引き起こす作業であり、まったくのナンセンスであると考えています。どうしても必要に迫られてスマホと付き合わなければならない場合、最低でも15分に一回位はスマホから目を離し頸椎のposition change 、stretchをすべきであると考えています。

私にとって特に奇異に映るのは、仲間が集まって食事会や飲み会をしている間中、一部の人間、時にはほぼ全員が、テーブルの下あるいは公然とテーブルの上で、背中を丸めチマチマとスマホを操作している姿であり、これはとても滑稽で哀れを誘う光景でもあります。これではせっかく時間を調整して集まった仲間との貴重なコミュニケイションの時間を台無しにするだけでなく、リアルな場での活発な意見交換のチャンスを自ら放棄することにもなりかねません。

たしかにスマホがとても有用なツールであることは認めますが、所詮は人間の便利の為に作られた物であり、これに振り回され貴重な時間を浪費しスマホ依存症のようになって行くのはちょっと悲し過ぎます。

こんな中、信州大学長の山沢清人氏が今年4月の入学式で行った「スマホやめますか、それとも大学やめますか」のスピーチはとても素晴らしく、私が常日頃感じていたことを、明快な言葉で語ってもらえたような気がします。
スマホに振り回され無為に時間を過ごすことなく、本を読み、友人や先輩と話をし、自分の持つ知識を総動員して物事を根本から考える習慣を身に付け、斜に構えず全力で行動しようという主張には大いなる共感を覚えました。

2014年09月21日

南イタリア

8月16日から1週間ほど、夏休みを利用して家族で南イタリアに行って来ました。昨年と違い今年は二人の息子達が同行する事になり、いろいろな意味で期待を膨らませての旅行となりました。

成田からローマまで12時間半ほどのフライト、そして飛行機を乗り換え30分程でナポリに到着です。ナポリ2泊、アマルフィ2泊、ローマ2泊という日程で慌ただしく南イタリアを回って来ましたが、中でもアマルフィの絶景はあらかじめ映画やTVで見てはいたものの、本物の迫力にはやはり圧倒されるものがありました。


日本にも同じような地形はありますが、一見すると住みにくそうな、海にそそり立つ複雑な海岸線を、これ程までにお洒落にアレンジし、そこで逞しく毎日の生活をエンジョイするイタリア人のセンスの良さ、エネルギッシュな生命力を肌で感じて来ました。


映画「アマルフィ」で使われたサンタ・カテリーナホテルは元々修道院だった所で、絶壁に突き出したロケイション。ホテル内のエレベーターでストンと10階分ほど下ると、そこにはまるでコートダジュールに来たようなお洒落な空間が広がります。息子達が海で泳ぐのを眺めながら快適なデッキチェアに身を横たえると、さり気なく飲み物が運ばれて来ました。アマルフィの絶景と地中海の海の青さを眺めながらここで過ごした時間は特に記憶に焼き付いています。

イタリアの財政状況は相変わらず厳しく、修道女の希望者は多いが、基本的に寄付で成り立っている修道院の運営資金が集まらず閉鎖される施設が後を絶たないと聞きましたが、こんなお洒落なホテルに生まれ変わり、雇用にも貢献するのであれば、これも時代の流れかと思いました。

さてアマルフィの背後、その山手地区にRAVELLOという街がありますが、落ち着いた雰囲気の素敵な街です。ここで毎年6月から10月まで、海に突き出した特設ステージを設営し、毎週2~3回開催されるコンサートを中心としたRAVELLO FESTIVALというイべントがあります。クリントン大統領夫妻も来たことがあるとガイドが話していましたが、ステージの背景にアマルフィの絶景を見下ろすロケイションが最高の演出となっており、次回はこのコンサートを目玉に再訪したいと思いました。  
         
元々イタリア料理は大好きで都内にはお気に入りのレストランが沢山ありますが、今回の旅行でもガイドブックに頼らず、東京で行きつけの店のシェフや友人達からの情報を元に徹底的にリサーチし、楽しんで来ました。総評として味の繊細さや、料理を出す際の演出などは東京のお店の方がレベルは上かなと感じましたが、アマルフィの絶壁に突き出していたり、港のヨットハーバーに面していたり、ホテルのルーフトップでローマの圧倒的な夜景を眺めながらなどなど、店のロケイションはどこも素晴らしく、人懐こいイタリア人スタッフの接客も含め大いに楽しむことが出来ました。また現地のガイドやホテルのコンシェルジュの提供するUpdateな情報もかなり役立ちました。やはり英語は世界中どこへ行っても役に立つ便利なツールで、情報収集と交渉事を有利に進める上でとても役立ちました。今回は特に英国留学中の息子が一緒だったので私の負担は大分少なくて済み、楽をさせてもらいました。

日本代表監督を退任しイタリアに戻るザッケローニ監督が、離日に際し日本のサッカーファンに送ったメッセージの中で、来日前は日本でやっていけるのかと不安を感じていたが、日本における世界一快適な生活に慣れてしまった今、故郷での生活に不安を感じているというコメントをしていましたが、正に今の日本の、特に東京港区での状況を言い当てていると感じました。

世界一安全で清潔。世界中の料理が、最高の接客と最高レベルのテイストで食べられる。まだまだ根強い外人コンプレックスのおかげで、外国人(困った傾向だが、特に英語人)に対して極めて控えめで親切な国民性。もしも時間的、経済的に恵まれた状況で港区に住むとしたら、おそらく世界一居心地の良い日常が送れるのでは感じています。本当に東京は地方都市の衰退とは裏腹に、どこへ行っても人があふれており、あらゆるENTERTAINMENTがここに集中している感があります。

しかしながら政府の地震調査委員会の発表によると、今後30年以内に70%、5年以内に30%弱の確率でマグニチュード7.0以上の首都直下型地震が起こると予測しております。多くの地震学者達の指摘にも拘わらず首都機能移転の議論が頓挫したままなのは理解に苦しみます。歴史をひも解くと、栄華を極め没落して行った多くの都市の名前が浮かびますが、東京がこのリストに並ばぬことを祈らずにはいられません。
 
とりあえず私は、この街に不動産を取得する事は避け、ベースキャンプは賃貸として、短いスパンで、港区の中でも特に快適なエリアに立つ新築のマンションを住み歩くのがベストチョイスではないかと考えています。

2014年04月05日

伝統の重み

昨年3月から、末の息子が英国に留学している。

開校以来400年以上の歴史のある伝統校である。先日春休みで帰国し、とても明るく饒舌になった彼と盛りだくさんの話をしていて、留学させたことが失敗でなかったことを確信した。最上級生の生徒が7月に卒業すると、全学年で日本人は彼1人になるとの事。いろいろな意味で私としては大変喜ばしい事であると思っている。彼との会話を通じ歴史と伝統に育まれた英国の学校教育の現状を知り、今の日本とついつい比較してしまい溜息が止まらなかった。 
 
体育学校でもないのに何しろ体を鍛える事に熱心である。かつて世界中の植民地から収奪した膨大な富により、我々の常識をはるかに超えたキャンパス内のインフラ整備が成されており、ラグビー(学年ごとに専用のgrass fieldを持っている)、サッカー、テニス、クリケット、バスケットボール、スカッシュなどなど様々なスポーツをバランス良く、授業の一環として毎日のSTUDYの後に取り入れ、ひたすら体を鍛え、「健全な精神は健全な肉体に宿る」を実践している感がある。
 
また毎日ハードな課題が課され宿題も多く、勉学面でも相当厳しそうだが、本人は割とケロッとしていて、何とかなっているようである。親としてちょっと嬉しいのは、忙しすぎてゲームもコミックも携帯もほとんど触れることなく毎日が過ぎているという所である。そして何より素晴らしいと感服したのは教師たちの生徒に接する姿勢だ。

やんちゃで未熟な小中高生たちを立派な英国紳士に育てようと、強い情熱を持って指導する教師が校内に数多くいる事が息子の言葉から推測される。生徒一人一人をじっくり観察し、その個性を伸ばし、結果よりもその思考プロセスを重視するという英国伝統の教育手法が脈々と先輩から後輩へ、400年の時を経て継承されている。また、教育の現場に人種的な偏見に基づくトラブルが発生せぬよう徹底的なルール作りが完成しており、この種の問題はほぼ皆無と聞いている。

かつて世界を制覇した大英帝国のしたたかな深謀遠慮の下、世界中から前途有為の若者を集め英国流の教育を施し母国に戻す。ちょうど戦前日本で教育を受け親日派となった台湾の「李登輝」元総統を連想させ、教育による世界戦略を邪推させる。全くの個人的な見解ではあるが、世界はやはり英米中心に様々なルールが作られ支配されている事を最近しばしば感じる。
 
いろいろな意味で世界の中心にある英国で教育を受けられる息子は本当に幸せな奴だとしみじみ思う。

平成25年11月3日の夕方、IKEA(イケア)で購入した極めて低価格のベッドサイドテーブルを、フローリングの床に座って1時間程かけて組み立てた直後、悲劇は起こりました。当初軽い腰痛として発症したが、徐々に右下肢全体に疼痛・シビレが拡大し、歩行は5m、立位保持は1分程で、激痛が右下肢を襲い、思わずそこにうずくまるという始末です。

考えられるあらゆる薬を大量に服用しましたがほとんど効果がなく、リハビリ、カイロプラクティックも無効の為、副院長に頼んで1週に1度、硬膜外ブロックを受ける事になりましたが、これもほとんど効果を感じる事がありませんでした。
仕方なく、半ば手術覚悟で足利日赤のMRI検査を受けましたが、予想通り、L4/5の右側にしっかりとしたヘルニアがあり、椎間孔レベルで神経根を圧迫していることが判明しました。

その後、どんなポジションをとっても痛みは軽減せず、毎晩坐薬のお世話になる日々が続きましたが、MRI検査後は何か自分の中で吹っ切れたものがあり、「たかがヘルニア、これで命を取られるわけでもないし。」というある種の開き直りが生じ、このヘルニアとの闘いの中で、少し冷静にこの病気を上から見下す事が出来るようになるに連れ、症状が好転して来たような気がします。腰痛を持病とし、長く患っている方の中には精神的に多少落ち込むケースもあり、こんな人に軽い向精神薬を少量処方すると劇的に腰痛が改善する事があるというのは整形外科医の常識ですが、私の場合も発病当初は痛みに振り回され、様々な最悪のシナリオを勝手に思い描き、精神的に落ち込み、症状を無意識に悪化せていたのかも知れません。

さて、そもそも腰部椎間板ヘルニアというのは、20~40代の若年成人に好発するものであり、高齢者でこの疾患を患っている人は少ないと言われています。そして大抵の場合、老いてヘルニアが萎んで来れば、隣接する神経を圧迫する程のパワーは無くなり、症状は改善します。私もこれを期待し、投薬・筋力アップ・ストレッチ・リハビリ・etcで時間稼ぎをしながらヘルニアの勢いが弱まるのを待つという戦法に出ました。

私はこれまでも様々な体のトラブルに見舞われることはありましたが、そんな時いつも思うのは、自分は今まで常に体を鍛え、食事に配慮し、納得のサプリメントを適量飲み、そして何より精神面のコントロールが何故か上手なので、ほとんど毎日ストレスフリーの生活をしており、多分自分の生体防御のための、免疫を含めた自家矯正力はかなりなものだろうという事です。様々な病気のアタックを受けても、身体を正常な状態に戻す力が人一倍強く、今回もこの生体防御のシステムが正常に機能し始めたのを感じています。昔から逆境に強く、追い詰められれば追い詰められる程、全身にエネルギーが充満して来て様々なアイディアが沸き起こり反撃に転じる、そんな自分の特性がまた頭をもたげたようです。

そんな訳で、現在まだ完治はしていませんが、日常生活には全く支障をきたさないレベルにまで回復しています。やはり普段の自己管理の賜物でしょうか。

12年振りでホノルルの「アラン・ウォン」に行く機会を得た。

2週間前の予約だったので当然の如く断られ、ハレクラニホテルの「ラ・メール」で妥協しようとしていた時、またまた神風が吹いた。出発の前日、ホノルル出身の当院スタッフRAYにその旨伝えるとすぐに友人のステーキハウス 「ルースクリススタッフ」TERUさんに連絡し、なんと19:15というゴールデンアワーに、前日にも拘らず予約が取れてしまったのだ。持つべきものは友達である。

店内は満席にも拘らず窓側に面した最高の席が用意されていた。頭髪を短く清潔に刈り込んだ若いスタッフ達が、極めて爽やかな接客をしてくれた。食事もワインも申し分なく、特に料理は毎度のことながら大いなる感動を覚えるものだった。客が退席すると数分以内に新たな客が入り、どの席の客達も大満足している空気が店全体を覆い尽くしていた。

いつも思う事だが、レストランにおける最高のBGMは、客達の笑い声、楽しそうな話し声であり、この店はいつも最高のBGMが流れていると感じる。大勢のフロアスタッフも本当に楽しそうに働いており、オープンキッチン内の料理人達は皆、ブルーのキャップを被りキビキビと調理しており、全体のイメージに全盛期のタブローズ(代官山)がフラッシュバックされた。

今の日本にこのレベルのレストランを探してみるが、小規模なものは何軒かあるが、ここまでのスケールの店はなかなか見つからない。残念な話である。

余談であるが、我々のディナーの翌日、オバマファミリーがこの店を訪れたとタクシードライバーが言っていたが、これまたラッキーだった。もしもあと一日予約日がずれていたら、これ程ゆったりと食事を楽しむことは出来なかっただろうし、交通規制が敷かれ、SPが大勢いる中での食事はno thank youである。

それにしてもこの街の活気は凄い。ホテルやショッピングセンターは人で溢れかえり、フードコートもレストランも満席、ショップも大勢の客でごった返している。恐らくは自分の求めるものがここで満たされることを知っている人達が、国内外から大挙して押し寄せ、満たされ、リピーターとなって行く為であろう。

受け入れ側の体制にも見るべきものがある。現状に胡坐をかくことなく、スクラップ&ビルドを繰り返し常に進化を遂げ続ける様は、オリエンタルランドの運営するテーマパークを見るようである。

我々の組織も現状に満足せず、スタッフ共々常にアイディアを出し合いレベルの向上に努め、リピーターにそして初診で来院された患者さんに、大いなる感動を与え続けることが出来るように努力して行きたいと考えています。 
        

2013年10月20日

お笑い芸人考

最近私は、以前にも増してテレビを見なくなった気がする。

その一番の理由は、興味をそそられるような、内容の濃い番組がとても少なくなったと感じるからです。
そしてもう一つの理由は、どのチャンネルを選択しても関西系を中心としたお笑い芸人達が出演し、番組を仕切っているからです。

芸人とは名ばかりで、粗末な芸しか持たない人達が延々と、身内で遊んだ話や失敗した話など、一般人が仲間と居酒屋で盛り上がっているだけという風にしか見えず、交流のある芸能人や自分達の私生活を露出し合い、出演者同士で勝手に受け、大笑いしている姿を見せられても、私は何も共感できないし、少しも面白いとは思えない。本物志向の私としては、彼らのような中途半端な存在はちょっと苦手である。

さまざまなSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)にクライアントを奪われ、経営上の大きな岐路に立つTV業界としては、出演料が安く、あまり番組制作に費用や時間をかけずTV放送の帯を埋めてくれる彼らの存在は、とても貴重だという裏事情は十分理解出来るが、もうそろそろ個人的にはちょっと限界という気がするし、こんな手抜きを続けて行くとそのうち一般視聴者にも飽きられ、本格的なTV離れに拍車がかかるような気がする。

また「タブーの正体」(川端幹人著)に克明に書かれているように、TV業界を支配する大手芸能プロダクションや大手広告代理店の意向により、才能の乏しい人達が戦略的に売り出され、彼らを頻繁にTV露出させる事によって、いつの間にか国民的アイドルにまで仕立てて行く手法は見事ではあるが、欧米流の実力主義を好む私としては何とも納得の行かない所である。

ところで、頻繁にTV露出しているタレント達に対して、まったく一度も個人的に会ったことも話したこともないはずなのに、まるで自分の家族や親しい友人を呼ぶが如く、君付け、ちゃん付けで語る人達が最近急増しているような気がするが、これもちょっと個人的にはついて行けない。ちょうど言葉の語尾を、疑問符の如く上げて話す人と会話した時のような違和感を覚える。

いずれにせよ、幸か不幸か大きな社会的影響力を持ってしまった彼らに是非お願いしたいのは、自分たちの発信する言動の持つ大きな影響力をちゃんと理解し、もっと責任ある行動をとって欲しいという事です。またメディア側も、様々な圧力に屈することなく、公共の電波を扱う放送人としてのプライドを喚起し、その放送内容にもう少し責任を持ってもらいたいものです。