Private Life

2012年01月15日

60回目の誕生日

私は2012年1月10日(火)、60回目の誕生日を迎えました。つまり、還暦ということです。毎年私の誕生日には、職員たちから朝のミーティングの際、バースデイプレゼントをいただくのが恒例となっていますが、今年は60歳ということでもあり、「赤い帽子に赤いちゃんちゃんこ」なんていうことになると大変なので、あらかじめ赤いちゃんちゃんこは自分で買うから、プレゼントしないようにと釘を刺しておきました。  

当日の朝、約束通りMONCLER「モンクレール」の真っ赤なベストを持参しましたが、みんなの前に着て出るのが照れくさくて、和泉屋セレクトのワインをプレゼントしてもらい、なんとなくお茶を濁すことにしました。しかし当院の看護婦軍団はそんなに甘くはなく、昼休みにナースステイションに呼び出され、ベスト着用の写真をまるで芸能人のように、皆から撮られまくられました。(わたなべ整形外科スタッフブログ参照)

ところで私は、平成元年に「わたなべ整形外科」を開業した際、院長として職員とどのようなスタンスで接したらいいか、いろいろ考えた末「フレンドリーな関係で行こう」と決め、数年やってみました。しかしこれは、組織が徐々に拡大して行く過程で、院長としての行動が規制されることとなり、その後はちょっと軌道修正し、「厳しいけれど、とっても優しい先生」を目指して今日に至っています。そして今私が一番心掛けているのは、常に職員から尊敬されるような存在であり続けるということです。 

仕事の時は、かなりきついことも、遠慮なくストレートに伝えるようにしていますが、信頼関係があり、尊敬される存在であれば職員は素直に聞いてくれるのではと期待しています。

そのためにも私は患者さんの診察をしている時、いつも背中で職員へのメッセージを送り続けています。敬語の使い方に始まり、患者さんの年齢、性別、職業、インテリジェンスのレベルなどに応じた当意即妙な対応。疲れていても決して手を抜かず、常に笑顔を絶やさず、真剣になって患者さん一人一人の訴えを聞き、さまざまな病気について、丁寧で分かりやすい言葉を用いてはっきり説明する姿を見せることが一番の教育であり、私の医療に対する思いを伝えることになるものと考えています。

1月12日(木)に職員とMRさん達が開いてくれた盛大な、そして心温まるバースデイパーティーと、みんなからの寄せ書きを読んでいて、これからも今のスタンスで一人一人と接して行こうと思いました。

こんな私は還暦を迎えた他の仲間たちと比べ、多少若く見えるのかも知れませんが、これからも自分で設定した125歳のゴールに向けて、人生を大いに楽しみながら、自分のペースで年齢を重ねて行こうと考えています。 

2012年01月03日

マナーについて

2003年、父を失った時以来 久々に風邪を引き、大きく体調を崩した為、万事につけ大人しくしていましたが、ようやく復活しました。そんな訳で久しぶりのブログアップになります。

今年も例年通り元旦に、家族でサントリーホールでのニューイヤーコンサートに行って来ました。いつものようにアンコールで「ラディツキー行進曲」を聞き、大満足の年明けでしたが、昨年来ブログテーマで取り上げようとしていた「マナー」について、これを象徴する様な場面に遭遇しました。それは、客席への着席の際のことです。これは日本中至る所で目にし、気になっていることですが、運悪く我々の席は中央付近で、進入するのに既に着席中の人の前を通らねばならず、ちょっと期待はしたのですが、見事に外されました。

要するに、既に着席済みの方は着席のまま、ちょっと迷惑そうな表情を浮かべながら、足を斜めに引っ込めていただき、通過させていただいた訳です。開演20分前だったので、別に失礼な状況ではなかったのですが、いつもながら余り気持ちのいいものではありませんでした。

こういう場面に遭遇した時いつも思い出すのは、学生時代にバックパッカーで3ヶ月程ヨーロッパ旅行していた頃のコペンハーゲンです。当時世界的に話題になっていた「deep throat」というポルノ映画を見るために入った映画館で、運悪く中央付近の席しか空席がなく、既に上映中だったので、とてもとても恐縮して進入しようとしたところ、その列の全員が一斉に立ち上がってプリーズと言ったのです。これには痛く感動しました。そしてこれ以降マナーについていろいろ考えるようになりました。

簡単に言うと、今の日本はマナーの悪い人で溢れています。悪気のないマナー違反が大半ですが、基本的にはこの日本という、これまで外国人との接触が極めて少なかった、安全な島国に生まれ育ってしまったため、軌道修正されたり怖い目にあったりしないまま過ごしてきたことが一番の原因かなと思います。これはある意味幸せなことだったのですが、国際化が進んだ現代では、そろそろ修正して行かないと、さまざまな場面で日本人の評価を下げるきっかけにもなりかねません。

狭い通路を通り過ぎる際、ちょっとでも肩など触れたら、欧米人は反射的にアイコンタクトを取りながらsorry !と発し、私はあなたの敵ではありません!と訴えます。これはそれだけ危険な国に住んでいる為の自己防衛から出たものかも知れませんが、ちょっと迷惑そうな表情をしながら無言で立ち去る人達と比べた時、はるかに好感のもてる対応だと感じます。

朝方、例えばエレベーターなどにたまたま乗り合わせた他人と、おはようございます!の挨拶をサラリと交わしていますか?さまざまな場面で、ありがとう 、ごめんなさい !を、反射的に発することが出来たらなんと素晴らしいし、カッコいいと思いませんか?みんながこんな事を考え、実行し始めたら日本はもう少し住みやすい国になるのになあと、新年早々夢想しております。
             

2011年12月15日

TAKE IVY

最近あるメンズショップで、初版が昭和40年という懐かしい本を見かけ、アマゾンでその復刻版を取り寄せました。それは「TAKE IVY」という本で、私が大学へ入学した年の春、ある本屋さんで偶然見つけ、購入したものでしたが、以来私の学生時代のバイブルとして、何回も何回も読み返し、当時の自分のライフスタイルに強い影響を与え続けた本でした。

「アイビー・リーグ」と呼ばれるアメリカ東部の名門8大学(ハーバード、エール、プリンストン、ペンシルバニア、コロンビア、ダートマス、ブラウン、コーネル)を訪ね、アイビー・リーガースと呼ばれる学生たちの学園生活を取材した内容になっています。

この本を読んで以来、私の服装はアイビーファッションに変化しましたが、一番変わったのはそのライフスタイルだったかなと思います。「健全な精神は健全な身体に宿る」というギリシャ以来の考え方と「良く学び、良く遊べ」というアメリカ式の合理主義が、見事に調和したキャンパスライフがここには描かれてありました。

彼らアイビー・リーガース達が目指しているのは、一緒にいるとどことなく楽しい、社交性に富んだ人間。男同士でいる時はガンガン酒を飲み、女性には聞かせられないような話もするし、思い切ったバカ騒ぎもする。しかし女性といる時は完璧な紳士で、洗練されたマナーを身につけ、様々なジャンルの音楽や本の話題も豊富な教養人。ジルバもツイストもワルツも、一通りのダンスは踊れるし、乗馬もヨットもテニスもゴルフも上手にこなす、いい意味でのオールラウンドプレイヤー。

ウィークデイは朝から晩まで勉強や部活に追いまくられ、ほとんど遊ぶ時間はないので、ラフな服装で過ごしますが、週末の夜のパーティータイムになると、タキシードにドレスアップして出かけ、思いっきり楽しむ。何しろ切り替えがとてもスマートです。

この本に出会ってから私は個人的に、プレイボーイの定義をこれまでの 「女ったらしの遊び人」から、上記のように変更し、これを目指して学生時代を存分にエンジョイしたことを、今懐かしく思い出します。残念ながらヨットだけはチャンスがなくて、ものに出来ませんでしたが、他は大体、学生時代に一通り達成できたかなと自己中的に自画自賛しています。

最近少しイタリア系に傾きつつある自分のライフスタイルですが、やはりその原点は「TAKE IVY」にあることを、この本を読み返しながら自省を込めて実感しました。

先日、1人の有能な経営者として、また人生の先輩として尊敬していた方から、「お前はDoctor Merchantだ!」と言われ、大変ショックを受けました。せめて「珍しく、経営感覚を兼ね備えた院長」位に言って欲しいものだと、その時は心の中で強く反発しましたが、冷静になって考えてみると、今の40代以上の日本人にとって、理想の医師像とは「赤ひげ」なのかなと、妙に納得してしまい、これは厄介な事だと感じるに至りました。(´・ω・`)

「赤ひげ」というのは、昭和39年に封切られた 映画監督 黒沢明氏の代表作の一つで、作家 山本周五郎が昭和34年2月、文藝春秋新社より出版した「赤ひげ診療譚」を原作としたものです。「三船敏郎」演ずる赤ひげ先生が院長を務める「小石川養生所」に、不本意な形で赴任した「加山雄三」演ずる青年医師が、最初は反発しながらも、徐々に「赤ひげ」の生き方、考え方に感銘を受け、成長してゆく過程を描いたものです。

「赤ひげ」の、医師としての行動には、私心がなく、ただひたすら患者を治すことのみに思考が集約されています。常に最善の医療を提供することに専念し、自己犠牲と奉仕の精神に充ち溢れた聖人君子として描かれており、山本周五郎が練り上げた架空の人物だからこそ、まさしく人々が求める理想の医師像となっていると感じました。たしかにこういう架空の人物である「赤ひげ」と対比して、現代の医師を批判することは、実に溜飲の下がる事かも知れませんが、果たして現在の医療制度の枠組みの中で、「赤ひげ」のような人間が存在しえるのか、皆さんで考えていただきたいと思います。

我が国では、1948年頃から健康保険が普及し始め、昭和36年(1961年)に世界に冠たる国民皆保険が成立し、国民を取り巻く医療環境は劇的に改善しました。しかし1950年頃から、医療費が年々増加することを極度に恐れる厚生官僚たちにより、保険医療を担う医師たちは、医療費の請求をめぐって、指導や監査、審査によって診療の内容にまでさまざまな制約や圧力を受け始めることになりました。そして1952年10月頃から、厚生省の監査を受けた直後に自殺する保険医が後を絶たず、頭ごなしに怒鳴りつけ、反論を許さない、高圧的で脅迫めいた言葉を多用する指導技官たちの言動が、医師の人格を無視した人権侵害だとして国会でも問題になり、厚生省が追及されるという事態にまで至りましたが、なんら改善もなく経過しておりました。しかし1993年10月11日、地域医療に情熱を燃やす青年医師が、厚生技官による個別指導後自殺したことがきっかけとなり、マスコミを巻き込んだ社会問題へと発展する事になりました。

「開業医はなぜ自殺したのか」矢吹紀人著(あけび書房) 

この事件後も多少改善されたとはいえ、基本的には指導や監査の強化を通じて、医療費を削減する事を目的とする政策が現在も行なわれているのが日本の医療の厳しい現実です。

現在でも厚労省は一貫して医療費抑制策を採り続けており、医療機関の経営状況は年々悪化しているというのが現状ですが、何の企業努力もせず、厚労省の指導通り漫然と診療を続けているとどうなるか、全国の国公立病院の8割が赤字という数字が示す通り、多くの医療機関が破たんします。アメリカのおよそ半分の医療費で、世界最高水準の日本の医療が維持されているのは何故か? それは医療関係者の自己犠牲ともいえる、ひたむきな努力がこれを支えているからに他なりません。  

「日本の医療に未来はあるか」鈴木厚著(ちくま新書)参照

今の時代「赤ひげ」のような医師が診療所を開設すれば、まず間違いなく一年以内に倒産します。経営感覚の乏しい人間が組織を率いることになると、現在の診療報酬のシステムの中では、まず間違いなく大赤字です。

常に患者目線で、患者さんにとって最高の医療を展開する事を目指し、しかも窓口での患者さんの負担を極力抑えながら、職員の待遇も高く維持する為に、院長には、ある時は医師として、そしてある時は経営者としての、二つの顔を持つことが求められていると認識しており、この姿勢を「Doctor Merchant」としてしか見ることができないのは、かなりさみしい話かなと思います。

2011年11月30日

待合室の患者さん

待合室で診察を待っている、あるいはリハビリ室で自分の治療の順番を待っている患者さんたちが、どんな心理状態にあるのか、私はいつもイロイロ考えます。

① あとどの位待てば自分の番になるのか?
② 呼ぶ順番を間違えてはいないだろうか?
③ まさか自分は忘れられてないよね?
④ どんな診断が下されるのだろうか?(初診の患者さんの場合)「まさか悪い病気じゃあないよね・・・」

こういった不安を抱えながら待っていらっしゃる患者さんに対して、我々はどう対応したらよいか、私はしばしば職員たちと話し合い、さまざまな対策を考えております。       

しかしながら、さまざまな努力をしているにも拘らず、いまだに患者さんからクレームが出たり、投書をいただいたりすることがあります。こんな時いつも我々が心掛けていることは、まずクレームや投書をいただいた方に対して、嫌な思いをさせてしまって本当に申し訳ないという、心からお詫びする気持ちと、勇気を奮って行動に出ていただき、我々の問題点を教えていただいたことに対する感謝の気持ちを持つということです。

中からばかり見ていては気付かない、患者さん目線からの指摘をきっかけに、我々の組織が一段とレベルアップしたことはこれまでにも度々あります。

クレームの中で一番多いのは、患者さんをお呼びする順番に関するものです。知り合いだから早く呼んでもらったんじゃあないかとか、社会的に地位のある人だから特別扱いしてるんじゃあないか、などの不信感が渦巻いてくると、待合室の雰囲気はかなりとげとげしいものになって来ます。

当院では幸い、我々が弱味を握られているような患者さんはいらしておりませんので、すべて受け付け順でお呼びしておりますが、今後とも誤解が生じないように、患者さんとのコミュニケイションを密にし、快適に待ち時間を過ごしていただけるよう、さまざまなアイディアを実行して行きたいと考えております。
 
私は時々いろいろな会社の社長さんや、とても忙しく、社会の第一線で活躍していらっしゃる方達とお話をする機会がありますが、こんな時いつもお伝えするのは、当院では患者さんとして来院された場合、すべて平等に、来院された順番でお呼びしており、特別扱いはできませんという事です。私はこれをとても重要なルールだと考えています。待っている他の患者さんの為でもあるし、フェアな対応をしているということで、病院に対する患者さんの信頼が高まり、その評価へと繋がって行くものと確信しております。

例えばの話ですが、マスコミにたびたび取り上げられるような有名人で、社会的な地位も高い人間が、どこかの病院を受診する際、診療申込書の職業欄に「会社役員」などと記入せず、一般の人に紛れて待合室の椅子に座り、たまたま自分を認識した人たちと雑談しながら、平然と自分の診察の順番を待っていたとしたら、自分的にはかなりカッコいい振る舞いだと思うし、この人に対する世間の評価も高まるのではないかと考えます。

兎にも角にも、こんなに混んでるんだから待つのは当たり前だ、患者さんも分かってくれるだろうなどと思い上がった考えを持たず、如何に順番を間違えず、職員一人一人がテキパキと行動し待ち時間を減らすように努めるか、そして今年のテーマでもある「わたなべ整形外科は、なぜか、待ち時間が楽しい・・・」を実現するアイディアを今後も次々に投入して行きたいと考えています。

2011年11月26日

接待について

平成24年4月から、製薬メーカーによるドクターへの接待が、今まで以上に厳しく制限されることになりました。

数年前にも似たようなルール変更があり、この時もかなり、接待に規制がかかりましたが、中でも学会発表用の文献検索や、スライド製作協力を全面禁止にするという通達は、かなり大きな衝撃が医療機関を襲いました。特に大学勤務の研修医たちは、その大半がいまだに無給、もしくは信じられないくらいの薄給で働いており、一週間の激務をこなし、週末になると生活費を稼ぐため、関連病院の当直や外来の代診としてアルバイトに出ます。またウィークデイは朝から晩まで働き、夜遅くなってから研究を開始しますが、何しろ生活は苦しく、こんな中、大変コストのかかる学会発表用の文献検索やスライド作成などを各製薬メーカーがサポートしてくれていました。これが全面禁止となり、生活費を削って学会発表を続けることの困難さを日本中の研修医達が味わいました。

幸い最近ではITの進歩により、学会発表がパワーポイントで済むようになり、スライドが不要となった為、事態は多少改善しております。

これら一連の接待規制は、公正取引委員会(以下、公取委と略す)からの行政指導によるものではなく、「医療用医薬品製造販売業公正取引協議会」(以下、公取協と略す)からの通達によるものです。つまり製薬メーカー各社が、自分たちで立ち上げた「公取協」を利用して、ドクターへの接待を規制し、経費削減に乗り出すという動きでした。

当初、大半のドクターたちが、まんまと騙されたのはその言葉使いでした。つまり、MRたちは、「公取からの通達で、もう接待その他の便宜供与が出来なくなりました。」と言っていたのですが、我々はてっきり「公取委」からの通達と勘違いして、それでは仕方がないと、素直に受け入れました。しかし後になって「公取協」からの通達に過ぎないことが判明し、全国のドクターたちの猛烈な反感を買うことになり、一部の病院ではすべてのMRの出入りが禁止になるという事態にまで発展しました。

接待という形は、大なり小なりどこの業界でも行われている商習慣であり、これがすべて廃止の方向に動いて行くとしたら、MRさん達の存在意義にも絡む重大な変更であり、見過ごすわけにはいきません。

私が開業する少し前までは、1000万円分の薬を購入すると、1000万円分の同じ薬がおまけで付いて来たり、開業祝に車を一台贈呈されたり、まあ数え上げればキリがない程の豪勢な接待攻勢が普通に行われていたと、先輩達から聞いておりますが、私自身は残念ながらこのようなおいしい体験はしておりません。

私は、あまり極端なケースは別として、ある程度の潤滑剤としての接待は、それなりに存在意義があると思いますが、個人的には開業以来、接待で、メーカーにおねだりして美味しいものを食べに行ったり、ゴルフをしたりという事は、極力避けるようにしています。これには、各メーカーと、できるだけ対等の立場で、フェアな関係を保ち、患者さんに処方する薬の選択に影響が出るのを避ける意味もあります。

美味しいものは自分でお金を出して食べたいといつも思っていますが、こういうドクターはMRさん達から見ると、少し厄介な存在かも知れません。彼らからすると、ドクター接待の名目で、自分の給料では決して行けないような高級料亭やレストラン、クラブ、ゴルフ場などに頻繁に出入りし、美味しいセレブな暮らしが実現するのです。

来年4月からの接待規制強化に向け、各メーカーではドクターへの最後の接待攻勢をかけており、高額なコストのかかるお店はどこも予約が急増していると、聞いております。私はこんな時期は避け、4月以降の、少し騒ぎが落ち着いた頃に、MRさん達にアドバイスをいただき、評判の高いお店を訪れてみようかと考えております。

もちろん自腹で。

2011年11月21日

あと何回?

最近、テニスやスカッシュをしている時、いつまでこんなに元気にコートを走り回って、ボールを追いかけることが出来るのかな?こんなに楽しく、いい汗をかくことが出来るのは、あと何回位かなあと考えることがある。ケガをしたり病気をしたりすれば、いきなりできなくなる。

一応、自分の人生125年をゴールに設定して人生設計をしているが、宇宙の営みから比べるとあまりにも短い。この短い人生を如何に充実させ、楽しむか。もうすぐ還暦を迎える私としては、大きな課題となりつつある。
 
今の仕事は、わりと安易に決めた割には結構気に入っている。遣り甲斐もある。しかし如何せん自由に使える時間が少な過ぎる。この限られた少ない時間を如何に使い切るか、これからは今まで以上に真剣に考えなければいけないと思う。

お気に入りの場所で食事をしていて、この店にはあと何回来られるかなあと思う。時間があっても、自分の体調がすぐれなければ食べには行けない。自分がOKでも、お店が無くなってしまったり、シェフが変わって味が落ちてしまうこともある。食事を、おいしく、ある感動をもっていただけるというのは、さまざまな条件が見事にマッチした時にのみ得られる、貴重な瞬間であると思う。そういった場面に遭遇した時は、時間の進行を極力遅くして、その幸せを存分に味わいたいものである。 

学生時代ヨーロッパを3ヶ月ほど、バックパッカーで旅した時、毎日が楽しくて楽しくて、そこで過ごす一分一秒がとても貴重なものに感じられた。この時自分の中から自然に出てきたフレーズが、「瞬間瞬間が人生、そんな生き方をしたい。」というものだった。以来、こんな生き方が出来たらいいなと、夢中で突っ走ってきたが、最近、死というゴールを身近に感じるようになり、自分がそこに向かって全速力で走っているような気がして、ちょっと複雑な心境である。

こんな中、「SLOW LIFE」もいいなあと思うようになって来た。大橋巨泉のごとく、まだ元気なうちにセミリタイアし、この美しい地球のさまざまな地域に、それぞれのトップシーズンを追って、渡り鳥のように移り住むというのには本当に憧れる。ついでに自分の飲み仲間たちも一緒に移動してくれると、さらに楽しさが倍増すると思うが、これはなかなか難しそうである。それぞれの土地で仲間を見つけることになると思う。

何はともあれ、世界人口は70億人に達したというのに、それぞれに与えられた短い人生の中で出会える人の数はたかが知れている。その少ない出会いの中で、気の合う仲間というフィルターにかけると、実際に付き合う人の数はさらに少なくなってしまう。最近は、こういう貴重な仲間たちと、あと何回飲み会ができるだろうかと考えてしまう。

自分はお酒大好き人間ではないので、自宅で晩酌はしない。お酒の代わりに牛乳飲みながら食事をしていることも多々ある。ホステスバーも苦手なので、たいてい男仲間たちと熱い議論を交わしながら、美味しい料理と美味しい酒(古酒以外はどんなジャンルもこなす)、これさえあれば充実した一日のエンディングとして申し分ない。

2011年11月13日

モテ期なるもの

最近は造語ばやりです。アラフォー、美(び)魔女(まじょ)、援助交際、ちょい不良(ワル)オヤジ、別(べつ)腹(ばら)、イクメン、婚活、アッシー君、断捨離(だんしゃり) etc.

次々に生まれるこれらの造語を見るにつけ、日本語というのは、世界でも他に例を見ない程、言葉遊びが自由自在にできる言語だなあと、しみじみ感心します。

こんな中「モテ期」という造語に、ちょっと目が留まりました。昔から、人生においてモテ期は3回あると言われますが、真偽の程は定かではありません。

自分自身はどうかと振り返って見ると、札幌で過ごした学生時代、金太郎と呼ばれ、北大のパートナー校である藤女子大にファンクラブがあった頃が第一期。

東京に引っ越して来て、結婚するまでが第二期だったような気がします。最近はどうかというと、外来でとてもモテています。これは老若男女を問わず、多くの患者さんと接していて、毎日感じています。(ご高齢の方にファン層が偏っているのが少し気になりますが)これが第三期なのかと考えると、ちょっとさみしい気もしますが、自分の置かれた立場を考えると、まあいい線かなと自分を納得させています。

私が学生時代からいつも目指していたのは、女性にも男性にもモテるということでした。まずは男同士の仲間うちで信頼され、ナイスガイとして評価されるのが一番で、ついでに女の子にもモテたらいいなあと考えて行動していたことを、今懐かしく思い出します。あの頃は女性にはモテるけれど、男仲間からとても評判の悪い、女ったらしと言われるのが最低と考え、体育会系男子としてテニスに、そしてアイスホッケーに打ち込んでいました。

私が突然、女性にモテ始めたのは、大学2年の夏、3ヶ月間のヨーロッパ一周旅行から帰国してからだったと思います。バックパッカーとしての貧乏旅行でしたが、毎日毎日自分が変化して行くのを感じ、驚きと共にそれを受け入れながらの、刺激的な3ヶ月でした。最初の1ヶ月は日本語で考え、英語に翻訳して話していましたが、2か月目には英語で考えて英語で話せるようになり、3ヶ月目には英語でケンカできるまでになり、寝言も英語になっていたようです。

ユースホステルやペンションに泊まりながら、さまざまな同世代の外国人と交流し、意見を交換し合う内に、自分の内面で何か吹っ切れたものを感じ、それまでの、シャイで、相手の女性の目を見て話すことが出来なかった体育会系男子が、徐々に変身を遂げる旅となりました。この旅行はその後の自分の人生に大きな影響を及ぼすものとなったと、私は確信しています。

若者よ、日本をしばらく離れて、単なる観光ではない、世界中の若者たちと触れ合う旅に飛び出そうではありませんか!

2011年11月06日

ケンカについて

最近の日本の男の子たちは、草食系男子などと言われ、なんとも情けない限りだが、確かに周囲を見回してみても、ギラギラした、大きな野望を持った男が減って来たなあと感じる。

お利口さんが増えすぎて、面白くないことこの上ない。大体ケンカする奴が激減している。これではイカンなあと思う。

さまざまな事象を、一つ一つ丁寧に掘り下げ、しっかりと検証した後、自分の考えをまとめ、いろいろな背景を持った人達と、ある時は国籍を超えて熱い議論を交わす。ディベイトをする中で、自分の考えが修正されることもあるし、相手を論破して、自分の正当性が証明されることもある。

日本人はすぐ感情的になってしまい、したたかな欧米人にやり込められてしまう事が多いが、トライアンドエラーで何度も経験を積むうちに、その辺は鍛えられていくものだと思う。要は正確な知識に基ずく論理的思考とガッツである。このガッツの感じられない若者が増えて来ているとすれば、今後の日本の将来は危うい。

私は昔からあまりケンカはしない方だが、大人になってからケンカする機会が増えてきたような気がする。殴り合いや取っ組み合いのケンカはしないが、ここぞという時には腹をくくって闘う。泣き寝入りは絶対にしない主義なので、何か納得のいかない仕打ちをされた時は、断固として闘う。

こんな時いつも考えるのは、社会的弱者の存在である。自分は強い人間なので、不当な扱いをされた時は、断固抗議し、その改善のために行動するが、気の弱い人や言葉の壁がある人などは、大抵泣き寝入りだ。特に家族で海外に行った時などは、大抵どこかで一回位はケンカしている。もしも、あとからここを訪れる、英語があまり得意でない日本人観光客が、同じ仕打ちをされたらと考えると、居ても立ってもいられなくなり、つい闘ってしまう。大抵はそこのマネージャーを呼び出し、きっちり話をすると、一件落着するレベルの事だが、抗議しないと事態は変わらない。欧米人なら普通にやっている事だろうが、日本人はこれがとても不得意だ。交渉が我々の勝利に終わると、いつも子供たちが、「お父さん、またケンカしちゃったね。でもちょっと、カッコ良かったよ!」と言ってほめてくれる。父の闘う姿から何かを感じてくれたらな、なんて考えるのは期待し過ぎだろうか。

私が闘うとき、いつも心掛けているのは、常にクールに、理詰めで、笑顔を絶やさず、紳士的に、しかもアイコンタクトを絶やさず、ゆっくりハッキリ話す事だ。感情的になり、声を荒げてしまうことを避け、相手の主張をよく聞いてあげ、しっかり反論する。これを根気よく続けて行くと、大抵の闘い(交渉)は当方の勝利の内に終わる。

かっこいい、スマートなケンカができる日本人がもっと増えてくれば、ある意味その集大成である外交官や首相などが、国際会議などの場で、妙に存在感のない、情けない姿を晒す機会は減って来るのだろうか。

2011年10月31日

院長という立場

知り合いの社長さん達と飲む機会があります。そんな時いつも感じるのは、彼らには自分に比べ、自由に使える時間がたくさんあるという事です。平日堂々と社用でゴルフをプレイし、海外で行われるオリンピックの見物にも出かけることが出来ます。

有能な経営者というのは、自分が不在でもきちんと動く組織を創り上げた人であると、誰かに言われたことがありますが、当院のような小規模の医療機関には当てはまらないようです。

私の場合、毎朝8時半までに出勤し、朝のミーティング、そして9時から夕方の6時半の受け付け終了まで、ほとんど一歩も外に出ることもできず、家に戻るのは最後の患者さんが帰り、会計が閉まり、すべての業務が完了してからですから、日によっては相当遅くなります。

また昨年9月からは祝祭日の午前診療も始めたので、プライベイトな時間は減る一方です。今書いているブログの原稿も、院長室で打っていますので、わたなべ整形外科で過ごす時間は、増える一方です。

夏にはいつも私と福先生と交代で1週間ずつ、慶應病院からかなり優秀な代診の先生をお願いして夏季休暇を取りますが、受付まで来た患者さんの中には、院長不在が分かると、リハビリも受けずに帰ってしまう方も大勢いらっしゃいます。
 
この仕事の特殊性を説明するのにとても有効な事例かと思いますが、何しろ一般企業の社長さん達のような訳には行きません。

また、一流企業の役員クラスになると、最前線で一兵卒のような仕事をする機会は殆ど無くなり、仕事で交流する相手もかなり絞り込まれ、会話もスムーズに進行することと推察いたします。

しかしドクターは全く違います。いくら経験を積み、知識が増え、診断、治療の技術が向上し、ついでに年齢を重ね、円熟期に入っても、そんなことは一切お構いなし、毎日、常に最前線の一兵卒です。

大きい会社のように部下たちが最初に面会し、絞り込んでくれる事もなく、時々とんでもない患者さんに遭遇し、途方に暮れることがあります。

福先生がよくおっしゃっていますが、患者さんはドクターを選べますが、我々は患者さんを選ぶことはできません。しかし、数ある医療機関の中から我々の施設を選んでいただいた患者さんに対して、最大の満足を得ていただけるように努力すべきであるという責任は感じています。

確かに、やり甲斐はあります。自分を信頼して通って来ていただいている多くの患者さん達と接していると、医師という職業を選んでよかった!としみじみ感じる場面は多々あります。しかし人生の大半をこの狭い空間で過ごす、という現実も受け入れなければなりません。

自由にのびのびと、自分の時間を創り出し、たった一度しかない一生を大いにエンジョイしている仲間たちを見るにつけ、少々複雑な想いが忍び寄る秋の夜長でした。

長い文章、最後までお読みいただきありがとうございました。