日本人として、国際人として

2012年01月03日

マナーについて

2003年、父を失った時以来 久々に風邪を引き、大きく体調を崩した為、万事につけ大人しくしていましたが、ようやく復活しました。そんな訳で久しぶりのブログアップになります。

今年も例年通り元旦に、家族でサントリーホールでのニューイヤーコンサートに行って来ました。いつものようにアンコールで「ラディツキー行進曲」を聞き、大満足の年明けでしたが、昨年来ブログテーマで取り上げようとしていた「マナー」について、これを象徴する様な場面に遭遇しました。それは、客席への着席の際のことです。これは日本中至る所で目にし、気になっていることですが、運悪く我々の席は中央付近で、進入するのに既に着席中の人の前を通らねばならず、ちょっと期待はしたのですが、見事に外されました。

要するに、既に着席済みの方は着席のまま、ちょっと迷惑そうな表情を浮かべながら、足を斜めに引っ込めていただき、通過させていただいた訳です。開演20分前だったので、別に失礼な状況ではなかったのですが、いつもながら余り気持ちのいいものではありませんでした。

こういう場面に遭遇した時いつも思い出すのは、学生時代にバックパッカーで3ヶ月程ヨーロッパ旅行していた頃のコペンハーゲンです。当時世界的に話題になっていた「deep throat」というポルノ映画を見るために入った映画館で、運悪く中央付近の席しか空席がなく、既に上映中だったので、とてもとても恐縮して進入しようとしたところ、その列の全員が一斉に立ち上がってプリーズと言ったのです。これには痛く感動しました。そしてこれ以降マナーについていろいろ考えるようになりました。

簡単に言うと、今の日本はマナーの悪い人で溢れています。悪気のないマナー違反が大半ですが、基本的にはこの日本という、これまで外国人との接触が極めて少なかった、安全な島国に生まれ育ってしまったため、軌道修正されたり怖い目にあったりしないまま過ごしてきたことが一番の原因かなと思います。これはある意味幸せなことだったのですが、国際化が進んだ現代では、そろそろ修正して行かないと、さまざまな場面で日本人の評価を下げるきっかけにもなりかねません。

狭い通路を通り過ぎる際、ちょっとでも肩など触れたら、欧米人は反射的にアイコンタクトを取りながらsorry !と発し、私はあなたの敵ではありません!と訴えます。これはそれだけ危険な国に住んでいる為の自己防衛から出たものかも知れませんが、ちょっと迷惑そうな表情をしながら無言で立ち去る人達と比べた時、はるかに好感のもてる対応だと感じます。

朝方、例えばエレベーターなどにたまたま乗り合わせた他人と、おはようございます!の挨拶をサラリと交わしていますか?さまざまな場面で、ありがとう 、ごめんなさい !を、反射的に発することが出来たらなんと素晴らしいし、カッコいいと思いませんか?みんながこんな事を考え、実行し始めたら日本はもう少し住みやすい国になるのになあと、新年早々夢想しております。
             

2011年11月13日

モテ期なるもの

最近は造語ばやりです。アラフォー、美(び)魔女(まじょ)、援助交際、ちょい不良(ワル)オヤジ、別(べつ)腹(ばら)、イクメン、婚活、アッシー君、断捨離(だんしゃり) etc.

次々に生まれるこれらの造語を見るにつけ、日本語というのは、世界でも他に例を見ない程、言葉遊びが自由自在にできる言語だなあと、しみじみ感心します。

こんな中「モテ期」という造語に、ちょっと目が留まりました。昔から、人生においてモテ期は3回あると言われますが、真偽の程は定かではありません。

自分自身はどうかと振り返って見ると、札幌で過ごした学生時代、金太郎と呼ばれ、北大のパートナー校である藤女子大にファンクラブがあった頃が第一期。

東京に引っ越して来て、結婚するまでが第二期だったような気がします。最近はどうかというと、外来でとてもモテています。これは老若男女を問わず、多くの患者さんと接していて、毎日感じています。(ご高齢の方にファン層が偏っているのが少し気になりますが)これが第三期なのかと考えると、ちょっとさみしい気もしますが、自分の置かれた立場を考えると、まあいい線かなと自分を納得させています。

私が学生時代からいつも目指していたのは、女性にも男性にもモテるということでした。まずは男同士の仲間うちで信頼され、ナイスガイとして評価されるのが一番で、ついでに女の子にもモテたらいいなあと考えて行動していたことを、今懐かしく思い出します。あの頃は女性にはモテるけれど、男仲間からとても評判の悪い、女ったらしと言われるのが最低と考え、体育会系男子としてテニスに、そしてアイスホッケーに打ち込んでいました。

私が突然、女性にモテ始めたのは、大学2年の夏、3ヶ月間のヨーロッパ一周旅行から帰国してからだったと思います。バックパッカーとしての貧乏旅行でしたが、毎日毎日自分が変化して行くのを感じ、驚きと共にそれを受け入れながらの、刺激的な3ヶ月でした。最初の1ヶ月は日本語で考え、英語に翻訳して話していましたが、2か月目には英語で考えて英語で話せるようになり、3ヶ月目には英語でケンカできるまでになり、寝言も英語になっていたようです。

ユースホステルやペンションに泊まりながら、さまざまな同世代の外国人と交流し、意見を交換し合う内に、自分の内面で何か吹っ切れたものを感じ、それまでの、シャイで、相手の女性の目を見て話すことが出来なかった体育会系男子が、徐々に変身を遂げる旅となりました。この旅行はその後の自分の人生に大きな影響を及ぼすものとなったと、私は確信しています。

若者よ、日本をしばらく離れて、単なる観光ではない、世界中の若者たちと触れ合う旅に飛び出そうではありませんか!

2011年11月06日

ケンカについて

最近の日本の男の子たちは、草食系男子などと言われ、なんとも情けない限りだが、確かに周囲を見回してみても、ギラギラした、大きな野望を持った男が減って来たなあと感じる。

お利口さんが増えすぎて、面白くないことこの上ない。大体ケンカする奴が激減している。これではイカンなあと思う。

さまざまな事象を、一つ一つ丁寧に掘り下げ、しっかりと検証した後、自分の考えをまとめ、いろいろな背景を持った人達と、ある時は国籍を超えて熱い議論を交わす。ディベイトをする中で、自分の考えが修正されることもあるし、相手を論破して、自分の正当性が証明されることもある。

日本人はすぐ感情的になってしまい、したたかな欧米人にやり込められてしまう事が多いが、トライアンドエラーで何度も経験を積むうちに、その辺は鍛えられていくものだと思う。要は正確な知識に基ずく論理的思考とガッツである。このガッツの感じられない若者が増えて来ているとすれば、今後の日本の将来は危うい。

私は昔からあまりケンカはしない方だが、大人になってからケンカする機会が増えてきたような気がする。殴り合いや取っ組み合いのケンカはしないが、ここぞという時には腹をくくって闘う。泣き寝入りは絶対にしない主義なので、何か納得のいかない仕打ちをされた時は、断固として闘う。

こんな時いつも考えるのは、社会的弱者の存在である。自分は強い人間なので、不当な扱いをされた時は、断固抗議し、その改善のために行動するが、気の弱い人や言葉の壁がある人などは、大抵泣き寝入りだ。特に家族で海外に行った時などは、大抵どこかで一回位はケンカしている。もしも、あとからここを訪れる、英語があまり得意でない日本人観光客が、同じ仕打ちをされたらと考えると、居ても立ってもいられなくなり、つい闘ってしまう。大抵はそこのマネージャーを呼び出し、きっちり話をすると、一件落着するレベルの事だが、抗議しないと事態は変わらない。欧米人なら普通にやっている事だろうが、日本人はこれがとても不得意だ。交渉が我々の勝利に終わると、いつも子供たちが、「お父さん、またケンカしちゃったね。でもちょっと、カッコ良かったよ!」と言ってほめてくれる。父の闘う姿から何かを感じてくれたらな、なんて考えるのは期待し過ぎだろうか。

私が闘うとき、いつも心掛けているのは、常にクールに、理詰めで、笑顔を絶やさず、紳士的に、しかもアイコンタクトを絶やさず、ゆっくりハッキリ話す事だ。感情的になり、声を荒げてしまうことを避け、相手の主張をよく聞いてあげ、しっかり反論する。これを根気よく続けて行くと、大抵の闘い(交渉)は当方の勝利の内に終わる。

かっこいい、スマートなケンカができる日本人がもっと増えてくれば、ある意味その集大成である外交官や首相などが、国際会議などの場で、妙に存在感のない、情けない姿を晒す機会は減って来るのだろうか。

2011年10月27日

話すことは学ぶこと

昔から、世界で一番不幸なのは、「英国の料理を食べ、日本の家に住むことだ。」と、よく言われますが、英国に学ぶものは実はたくさんあります。特に、教育制度に関しては正に世界の最先進国であると感じています。

英国では、幼い頃から、人前で自分の考えを理路整然と、説得力を持って表現できるように教育されます。小学校の通信簿を見ても、「話す能力」が算数や理科などの教科と肩を並べ、評価の対象となっています。テーマを決めたディベートで、相手を冷静に論破したり、しっかりとしたプレゼンテイションのスキルを身につけることが、教育の現場で高く評価されます。
 
日本の国会での、いわゆる国会答弁(官僚の書いた文章を棒読みし、けっして相手の質問内容には真正面から答えず、はぐらかした空虚な内容)を見た後、英国議会での首相と議員との丁々発止のディベート、時にはユーモアにあふれ、極めて論理的に、相手から投げられた質問を真摯に受け止め、更にきつい返球を紳士的に投げ返すといった場面を見せられると、外交の舞台で日本がいつも相手にされないのも大きくうなずけます。

日本人は、すぐに感情的になってしまい、ディベートやディスカッションができない人がなんと多いことか。昔から、「あいつは口がうまいから気をつけろ」とか言って、流暢な日本語を話す事と詐欺師の甘言が同じような次元で論じられてしまい、評価されない。これは今後日本人が、国際舞台で活躍しようとした時、大きなハンディキャップとなるものであり、早急に教育の現場で、この分野のスキルアップを目指した教育改革を実施すべきであると考えます。

私は何かの問題を抱え、いい考えが浮かばず悩んでいる時、仲間と会い、その問題についていろいろ語り合う事があります。そして、その会話する中で自分の頭が整理されて来て、解決策や、いいアイディアが浮かんだりすることがよくあります。

話すことで学ぶことが、いかに多いか、日々実感しています。

2011年08月17日

国際交流

先日、夏季休暇の最終日、面白い飲み会がありました。

ワイワイやっている時は余り意識していなかったのですが、後で写真を整理していたら、とても興味深いものがありました。

これは、私のお気に入りの飲み屋「やきとり君」で偶然撮影されたものですが、なんと写真に登場する5人の国籍がすべて違っているのです。共通言語は英語です。

時々、英語を流暢に話せる事を鼻にかけて自慢する人がいますが、これは大きな勘違いだと常々感じています。英語圏の国に行けば、子供でも、どんなにインテリジェンスの低い人でも英語を話しています。問題はその話の中身、コンテンツだと思います。

英語なんてものは単なるツールであり、使いこなせると、とても便利ですが、自慢するようなたぐいのものでは無いと常々思っています。

国籍を紹介すると、写真に向かって左から、米、日、豪、仏、英でした。

結局最後まで応援させていただきました。そして本当に久しぶりに、大きな大きな感動をいただきました。

「なでしこジャパン」の選手諸君!本当に、最後まで、緊張感を切らさず、よく頑張りました。心からその健闘を祝し敬意を表したいと思います。

それにつけても、昨今の日本女性の国際舞台での活躍には頭が下がります。日本男子がスポーツを含めたあらゆる分野で、国際的に見てあまりにも不甲斐ないのとは対照的に、女子の活躍ばかりが目立ちます。

新渡戸稲造の「武士道」を読み返すにつけ、胸板の薄い、心身共に脆弱な男子達に、果たしてこの国を託せるのか、最近とても不安になります。

藤原正彦の「国家の品格」を是非もう一度読み返していただき、キリリとしたプライドを持って国内で、そして国際社会で活躍して欲しいと、心から願っております。