日本人として、国際人として

2011年11月06日

ケンカについて

最近の日本の男の子たちは、草食系男子などと言われ、なんとも情けない限りだが、確かに周囲を見回してみても、ギラギラした、大きな野望を持った男が減って来たなあと感じる。

お利口さんが増えすぎて、面白くないことこの上ない。大体ケンカする奴が激減している。これではイカンなあと思う。

さまざまな事象を、一つ一つ丁寧に掘り下げ、しっかりと検証した後、自分の考えをまとめ、いろいろな背景を持った人達と、ある時は国籍を超えて熱い議論を交わす。ディベイトをする中で、自分の考えが修正されることもあるし、相手を論破して、自分の正当性が証明されることもある。

日本人はすぐ感情的になってしまい、したたかな欧米人にやり込められてしまう事が多いが、トライアンドエラーで何度も経験を積むうちに、その辺は鍛えられていくものだと思う。要は正確な知識に基ずく論理的思考とガッツである。このガッツの感じられない若者が増えて来ているとすれば、今後の日本の将来は危うい。

私は昔からあまりケンカはしない方だが、大人になってからケンカする機会が増えてきたような気がする。殴り合いや取っ組み合いのケンカはしないが、ここぞという時には腹をくくって闘う。泣き寝入りは絶対にしない主義なので、何か納得のいかない仕打ちをされた時は、断固として闘う。

こんな時いつも考えるのは、社会的弱者の存在である。自分は強い人間なので、不当な扱いをされた時は、断固抗議し、その改善のために行動するが、気の弱い人や言葉の壁がある人などは、大抵泣き寝入りだ。特に家族で海外に行った時などは、大抵どこかで一回位はケンカしている。もしも、あとからここを訪れる、英語があまり得意でない日本人観光客が、同じ仕打ちをされたらと考えると、居ても立ってもいられなくなり、つい闘ってしまう。大抵はそこのマネージャーを呼び出し、きっちり話をすると、一件落着するレベルの事だが、抗議しないと事態は変わらない。欧米人なら普通にやっている事だろうが、日本人はこれがとても不得意だ。交渉が我々の勝利に終わると、いつも子供たちが、「お父さん、またケンカしちゃったね。でもちょっと、カッコ良かったよ!」と言ってほめてくれる。父の闘う姿から何かを感じてくれたらな、なんて考えるのは期待し過ぎだろうか。

私が闘うとき、いつも心掛けているのは、常にクールに、理詰めで、笑顔を絶やさず、紳士的に、しかもアイコンタクトを絶やさず、ゆっくりハッキリ話す事だ。感情的になり、声を荒げてしまうことを避け、相手の主張をよく聞いてあげ、しっかり反論する。これを根気よく続けて行くと、大抵の闘い(交渉)は当方の勝利の内に終わる。

かっこいい、スマートなケンカができる日本人がもっと増えてくれば、ある意味その集大成である外交官や首相などが、国際会議などの場で、妙に存在感のない、情けない姿を晒す機会は減って来るのだろうか。