日本人として、国際人として

2011年10月27日

話すことは学ぶこと

昔から、世界で一番不幸なのは、「英国の料理を食べ、日本の家に住むことだ。」と、よく言われますが、英国に学ぶものは実はたくさんあります。特に、教育制度に関しては正に世界の最先進国であると感じています。

英国では、幼い頃から、人前で自分の考えを理路整然と、説得力を持って表現できるように教育されます。小学校の通信簿を見ても、「話す能力」が算数や理科などの教科と肩を並べ、評価の対象となっています。テーマを決めたディベートで、相手を冷静に論破したり、しっかりとしたプレゼンテイションのスキルを身につけることが、教育の現場で高く評価されます。
 
日本の国会での、いわゆる国会答弁(官僚の書いた文章を棒読みし、けっして相手の質問内容には真正面から答えず、はぐらかした空虚な内容)を見た後、英国議会での首相と議員との丁々発止のディベート、時にはユーモアにあふれ、極めて論理的に、相手から投げられた質問を真摯に受け止め、更にきつい返球を紳士的に投げ返すといった場面を見せられると、外交の舞台で日本がいつも相手にされないのも大きくうなずけます。

日本人は、すぐに感情的になってしまい、ディベートやディスカッションができない人がなんと多いことか。昔から、「あいつは口がうまいから気をつけろ」とか言って、流暢な日本語を話す事と詐欺師の甘言が同じような次元で論じられてしまい、評価されない。これは今後日本人が、国際舞台で活躍しようとした時、大きなハンディキャップとなるものであり、早急に教育の現場で、この分野のスキルアップを目指した教育改革を実施すべきであると考えます。

私は何かの問題を抱え、いい考えが浮かばず悩んでいる時、仲間と会い、その問題についていろいろ語り合う事があります。そして、その会話する中で自分の頭が整理されて来て、解決策や、いいアイディアが浮かんだりすることがよくあります。

話すことで学ぶことが、いかに多いか、日々実感しています。