日本の勤務医の現実
最近の大学受験生の動向として、難関理系を敬遠し文系を志望する学生が増加傾向にあるという話を聞きました。都内予備校の調査では、医学部志望者は前年比7%程減少したそうです。これは現在の日本における勤務医の現状を考えた時、賢い選択かと考えます。厚労省による医療費抑制政策の下、年々医療機関の収入は減り続けており、その影響は真っ先に医師の待遇に反映されます。というのも経営者側が病院の存亡を賭けて、職員の待遇を下げようとすると、医師以外のスタッフの大半は辞めてしまいますので、先ずメスを入れるのは医師の給与ということになっているからです。収入面もさることながら、何しろ仕事に拘束される時間が長過ぎます。休みも少なく、家族と一緒に過ごせる時間は一般の社会人よりはるかに少ないのです。
この辺の事情は2019年2月26日放送の「ガイアの夜明け」で放映されていましたが、大きな真実の一部が伝えられていた気がします。医師だけが何故これ程の長時間労働を強いられるのか、その根本原因は日本の医療費が欧米先進国に比べて極端に安く、経営的な理由から病院が必要とする数の医師を雇えないことが挙げられます。
例えばアメリカでは一病院あたり日本の約10倍の人数の医師が勤務しておりますので、交代で患者さんを診ることとなり、一人の医師の負担は減ります。しかしアメリカ並みに医師の数を増やしてしまうと、日本中のほぼ全ての病院は経営破綻してしまいます。つまり日本の医療は医師の忍耐と自己犠牲の上に成り立っているという見方も出来るのです。
若者達が医師を目指すとき時、病める人の力になりたい、それを通じて多少でも社会貢献したい、人に感謝されるような仕事に就きたい、など様々あるでしょうが、いずれにせよ遣り甲斐のある職業であることに間違いはありませんし、経済的にもある程度豊かな生活が保障されるのであれば医師は人気の職業となるでしょう。しかし現実は相当に厳しいと言わざるを得ません。
こんな中、素朴な疑問として皆さんが抱かれると思うのは、医師達は何故、待遇改善を訴えてアクションを起こさないのかという点だと思います。私はその理由として、医師達はその最難関学部受験に始まり、一人前に評価される臨床医に成長するまでの過程を通じ、たぐいまれなる強靭な忍耐力を身に付けてしまうからではないかと考えております。この過程は見方を変えれば、牙を抜かれていく過程でもあります。医師養成期間中はただひたすら膨大な医学知識と臨床経験の習得に明け暮れ、独創的なアイデアや斬新な発想は求められません。早朝から深夜まで院内で過ごし、外来、病棟、手術、カンファランス、学会発表用の論文作成と目まぐるしく時間が過ぎて行きます(私の勤務医時代もこんな感じでした)。こんな日常の中で、もう疲れたから先に帰りますと言える雰囲気は全くありません。先輩達も皆やって来たし、事あるごとに「医は奉仕である」と教育され、そこに何の疑問も感ぜず育って来ると、世間一般のサラリーマンとはかなりかけ離れた、想像を絶するような過酷な長時間労働にも耐えられる、強靭な精神力が醸成されて行くのかと思います。
そして、日常の院内業務に余りにも多くの時間を拘束される結果、世の中の様々な事象を正確に把握出来なくなり、良く言えば浮世離れした専門馬鹿、悪く言えば社会生活不適合者となって行くのです。当然のことながら、日本の医療全体についての正しい知識も乏しく、ただマスコミから流される偏った情報を、一般市民と同じレベルで信じ込んでしまい、日本の医療を担う自らの仕事に自信と誇りが持てないといった不幸な医師も育って来ているというのが寂しい現実です。
さて「3時間待ちの3分診療」というマスコミが好んで使うフレーズがありますが、果たしてこれは医師の怠慢から生じる現象でしょうか?
アメリカであればすべて予約制で、1日十数人の外来患者さんしか診察しませんので待ち時間ゼロ、診察時間30分が当たり前ですが、診察代は日本の10倍です。これに対し日本は診察代が異常に安い為、薄利多売の状況になっています。
こんな中、医師達は、「いつまで待たせるつもりだ!」と患者さんから罵声を浴びせられ、申し訳ありませんと、ひたすら自責の念に駆られる毎日です。しかし、たくさんの患者さんが来院され、一人ひとりを丁寧に診察すれば待ち時間が長くなるのは自明の理、これを全て医師の責任に持って行くのは多少無理があると思います。
また、医師は高給取りという幻想が巷に出回っていますが、あれだけの長時間労働の対価として、決して高くないと断言出来ますし、生涯獲得賃金で比較しても他業種よりかなり低いという客観的なデータも出ております。
繰り返しになりますが、厚労省の医療費抑制政策により、世界の先進国中最低レベルの医療費となっているにも拘らず、WHOが患者さんにとって世界最高の医療環境であると絶賛してやまない日本の医療を、自己犠牲の精神で支える医師達の真の姿を是非皆さんに知っていただき、虚偽と誇張に満ちたマスコミの偏向報道に惑わされず、疲れ切って過労死寸前の医師達に心からのエールを送っていただきたいと思います。