日本人として、国際人として

2012年09月13日

看板について

学生時代、バックパッカーとしてヨーロッパを3ヶ月ほど貧乏旅行した時、たまたまモスクワに1週間ほど滞在したことがあります。その時一番新鮮に感じたのは、商業看板が全くない為、街が異常なまでにシンプルにスッキリと見えたことです。

商業看板がないと街はこれ程までに美しく変身するものかと感心しましたが、西欧圏に移動してからもそれぞれの街ごとに独自の基準が設けられており、街全体の景観を乱さないようにという配慮が随所に感じられ、特にイタリアのフィレンツェ、ベルギーのブルージュ、ドイツのローテンブルグなどはその完成型かと思わせる美しさでした。

ヨーロッパのすべての都市を見て来たわけではありませんが、今でもかつて自分が訪れた欧州諸都市のリアルタイムな映像に接すると、40年前の懐かしい風景がそのまま展開しており、おそらく今回のユーロ経済危機もサラリと乗り越え、50年、100年後に彼の地を訪れる観光客たちに、今と変わらぬ美しい姿を見せてくれる事と想像されます。

こんな中、日本の街並みはどうでしょうか? かつて江戸の町は、旧帝国ホテルを設計したアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトら多くの欧米人から、これほど瀟洒な街並みは見たことがないと、最大級の賛辞を送られていました。これは1865年来日したイギリス人写真家フェリックス・ベアトによって撮影された江戸の写真を見れば一目瞭然です。

しかし1923年の関東大震災や1944年から2年間106回に及ぶ米軍による東京無差別大空襲などの結果、かつての面影は完全に消え失せ、その後明確な都市計画もないままに、現在のような奇妙な街並みになっています。100年のスパンで都市計画を考えるフランスは別格としても、東京の景観が欧州諸都市と比べてかなり見劣りしてしまうのは否定できません。

はっきり言って日本中いたる所、センスの悪い看板と大量の電気を浪費する自販機が野放図に設置され、計画性のない街の景観を更に悪化させていると感じています。

ところで患者さんが病院を選ぶ際、看板を見て決めているとは考えにくいのですが、街中にあふれるおびただしい数の医療機関の看板は、どう解釈したらいいのか理解に苦しみます。

こんな中、我々「わたなべ整形外科」では電柱広告も含め、看板は一本も設置しておりません。
 
そんな無駄な宣伝広告費を使う位なら、職員の待遇を少しでも良くしてあげた方が、皆のやる気も出て、はるかに経営的なメリットも大きいのではないかと考えているからです。