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2012年04月02日

ミコノス島

大学2年の夏、バックパッカーとしてヨーロッパを3ヶ月ほど放浪していたことがあります。横浜からロシア船籍の「フェリックス・ジェルジンスキー号」に乗り込み、2泊3日太平洋を北上、津軽海峡を通過してナホトカへ、さらにシベリア鉄道でハバロフスクまで16時間ほどの列車の旅、そこからモスクワまでアエロフロートで空路約8時間。ここで1週間の滞在後ヘルシンキ経由でストックホルムへ、そして到着後解散という、当時としては最も格安の方法でヨーロッパ入りしました。西ヨーロッパのほぼ全域をTEE(Trans European Express)という列車を使ってブラブラと、ユースホステルとペンションばかりを泊まり歩く、気ままな貧乏旅行でしたが、自分の人生にとってとても収穫の多い旅になりました。

最初の1ヶ月は日本語で考え英語に翻訳して会話をしていましたが、2か月目には英語で考え英語で話せるようになり、3ヶ月目にはかなりきわどい交渉やケンカまで英語でできるようになりました。また、ほぼ毎日のように感動的な体験をし、日々自分が変化して行くのを実感しながら過ごした3ヶ月でもありました。

どの国も、訪れたすべての国がそれぞれに印象的でしたが、中でもスペイン、イタリア、ギリシャ、スイスの4ヶ国は、また行ってみたい場所です。

こんな中、ある雑誌の特集記事に「ミコノス島」が載っていたので懐かしくなり、ちょっとだけご紹介させていただきます。「ミコノス島」はアテネの南東約100㎞にあり、ギリシャのピレウス港から船で5時間半くらいの位置にあるエーゲ海のほぼ真ん中に位置している島です。今でこそ有名になりましたが、私がこの島を訪れた、今から40年程前はここで日本人に会うことは無く、日本ではほとんど紹介されることのない島でした。私はこの島で二つの貴重な体験をしました。

その一つは、天の川(Milky Way)を生まれて初めて見たことです。例によって安宿に泊まり、毎晩のように、現地で仲良くなった連中と酒を飲みギリシャのフォークダンスをする店に入りびたっていましたが、ある晩遅く宿に帰ると自分のベッドが他の宿泊者に占領されており、クレームをつけると、こんな遅い時間に戻ってきたお前が悪いと言われ、宿の女主人からブランケットを2枚渡され宿の外に追い出されたことがありました。仕方なく狭い路地の石畳の上にブランケットを敷き、ぶつぶつ言いながら横になった時、夜空に白く輝く雲の帯のようなものが見え、目が慣れて来るに連れ、それが天の川であることに気付きました。この時の感動は今でも忘れることが出来ません。まさにMilky Wayというネーミングがぴったりの光の帯で、よく目を凝らすとそれが無数の星の集積であることに気付かされました。「おばちゃん、外に追い出してくれてありがとう!」の瞬間でした。

もう一つはヌーディストビーチです。そもそもミコノスに行くキッカケになったのは、マドリッドの宿で知り合ったドイツ人からの情報でした。彼は外交官志望の大学生で、6か国語を自由に操る男でした。仲良くなって何日か行動を共にしている中で、ヨーロッパでの彼の一押しはミコノスのヌーディストビーチだということになり、さっそくスペインからギリシャに直行することになったわけです。

当時ミコノスのヌーディストビーチは「パラダイス」と「スーパーパラダイス」の2ヶ所があり、私は昼はヌーディストビーチ、夜はダンシングバーで旅行者や現地の人達と酒を酌み交わすという毎日でした。ビーチはラグーンのようになっているため遠浅で、真っ青な空・エーゲ海ブルーの海・ゴミひとつない真っ白な砂浜にレストランが一軒だけという状況で、ビーチの客のほぼ7割くらいがオールヌード、残りがトップレスか普通の水着という感じでした。

初めは「恥ずかしくて水着を脱げなかった」のですが、しばらくこのビーチにいると、水着で体を隠している方が不自然な気がして来て、「恥ずかしいから水着を脱いだ」ことを思い出します。

実に開放的な空間で、一瞬この世の楽園に来ているような不思議な感覚に襲われたのを今でも鮮明に思い出します。

ギリシャは最近、国家財政が破綻して世界中から袋叩きにされていますが、私に言わせれば、ギリシャには今も素晴らしい世界遺産級の遺跡や自然環境がいたる所に残っており、あんなすばらしい環境の中で生活していたら、あまりあくせくと働きたくなくなるのもちょっと理解できるような気がします。