人生の転機、そして決断
「また神風が吹いた」私の口からこの言葉が発せられるのを聞いたことのある友人は多いと思う。実際これまでの自分の人生を振り返ってみて、思わずこのフレーズを発せずにはいられない場面のなんと多かったことか。
北大を卒業し、とりあえず麻酔科で救急蘇生や全身管理の仕方、ペインクリニックについて学ぼうという事で、都内の5~6か所の有名大学病院を見学した結果、順天堂でお世話になろうと決めた事。
整形外科を将来の専攻科とすべく、東大、慶應、順天の中から慶應を選んだ事。
ゴルフ場の会員権を購入するかどうかで悩んだ時(結局購入しなくて正解でした)。
世の中がバブルに浮かれ、仲間達がこぞって株の取引をしていた頃、株取引を一切しなかった事。
平成14年9月、当院が入院対応を終了したことに伴い、保健所への療養型病床群の申請、認可、そして申請取り下げの決断をした事。
軽井沢に保養所を建設する計画の、着工2日前での中止決定。
開業して間もなくの頃、前任の事務長が退いたその夜、長年口説いていた、現在の事務長から突然の電話があり、当院で一緒に仕事をすることになった事。
その後も土地に関しては、自宅用の土地、職員用駐車場、患者さん用第2駐車場、DaVA建設用地、その付属駐車場用地など、こちらが土地を希望するタイミングを見透かすかのように、いつもタイムリーにオファーが来る。こんな時私は「また神風が吹いた」と思わずつぶやく。後で振り返ってみると、あのタイミングであの決断をしなかったら、あのオファーがなかったら、あのキーパーソンにめぐり会わなかったら今の自分を取り巻く状況はあり得ないと、しみじみ思う。
しかし何と言っても学生時代、ひょんなキッカケからバックパッカーとしてヨーロッパを3ヶ月ほど旅した経験はその後の自分の人生感、世界観を劇的に変えたと思う。ほぼ毎日、自分が変化して行くのを体感しながら過ごした経験は、あの時が最初で、多分最後だと思う。外人コンプレックスはこの旅行後、自分的には完全に死語となり、何か吹っ切れた感じで、どんな国籍の人間とも同じ目線で付き合えるようになり、「瞬間瞬間が人生だ」大切にしなければと思えるようになった。地方都市に生まれ育ち、ずっと体育会系で生きて来た人間が、ガラッと変身した旅だったと思う。
直近では、東京でのベースキャンプを設定する際、分譲にするか賃貸にするかで悩んだ末、正に直前でリスクを回避し、今振り返ればどう考えてもこれが正解でしょうという所に落ち着いた。
本当に自分はラッキーボーイだと思う場面が多いが、若い人に安易に誤解してもらっては困るのは、これまでのラッキーは、営々とストイックに蓄えた実力と、普段から出会いを大切にし、結果出来上がる豊富な人脈も大いに関係しており、宝くじに当たる幸運とは切り離して欲しいという事だ。