2021年05月11日
『整形外科』の生みの親
皆さんこんにちは。副院長の福です。
昨日は、母の日でしたが、皆さんはお母さんに何かプレゼントしましたか?コロナが怖くてプレゼントどころではないですか?高齢者へのワクチン接種が、速やかに行われることを期待しましょう。
さて、今日の話題は、整形外科の生みの親のお話です。
整形外科の生みの親というと、東大の整形外科の初代教授である田代義徳博士がこれに当たる人物でしょう。実は、田代義徳博士は、ここ足利市田中町の出身なのです。
田代義徳博士は、1864年に、当時の田中村(現在の足利市田中町)で、田中村の名主田部井森平の三男、又助として生まれました。ある年、陸軍の演習の視察に訪れた、当時の軍医総監、田代基徳が田部井家に泊まりました。基徳は又助を気に入り、養子にしたいと望みました。一旦は断った又助ですが、基徳の養子となり、田代義徳が誕生しました。基徳の目に狂いはなく、義徳は東大へと進み、外科医となり、ドイツへも留学しました。帰国後、義徳は日本初の「整形外科」の講座を開設し、初代教授となりました。
この時、田代義徳は、「整形外科」という言葉も初めて使いました。まさに「整形外科」の生みの親となったのです。
田代義徳博士の生誕を記念して、田中橋の南端に記念碑が建てられています。皆さんも是非探してみてください。
私は東大の卒業生でもないので、田代義徳博士のことは、足利に来るまで全く知りませんでした(田代先生ごめんなさい!)。しかし、日本の整形外科を切り開いた田代義徳博士が、ここ足利の生まれであることはとても誇らしいことですし、これからはもっと宣伝したいと思っています。
それではまた。